日本の「怪談」はなぜ「怖」い? 加門七海 書き下ろしエッセイ

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バンクーバーでも色々とゴーストストーリーは耳にするけど、イマイチ怖くないような…? というわけでプロに聞いてみました! 

自らも豊富な心霊体験を持ち、イキの良い怪談を語らせたら天下 一品、作家・エッセイストとして伝奇小説からオカルト・ルポルタージュまで幅広い分野で活躍する 加門七海『どうして日本の怪談は怖いのか?』に迫った、日本からの書き下ろし特別寄稿。 Oops!でしか読めない独占公開!!

類まれなき怪談基礎体力の秘密

クリスマス、バレンタインデーに続いて、最近では日本でもハロウィーンが定着しつつある。が、お菓子を中心とした食品会社がやっきとなっているだけで、ほとんどの日本人はハロウィーン本来の意味をわかっていない。いや、わかっていても、スルーしている。

大体、日本人は春秋のお彼岸に夏のお盆と、年三回もご先祖様やら幽霊とつきあわなければならないのだ。また、そういう特別な日以外にも、日本全国津々浦々には季節を問わず、幽霊や妖怪が出没している。ハロウィーンに来るという魔物まで引き受けるのは荷が重かろう。

そんな日本の怪談は、西欧のそれより怖いという人がいる。実際、自分で考えてみても、確かに日本の怪談は怖い。映画『リング』が大ブレイクしたことで、ジャパニーズ・ホラー的な感性は外国にも知られるようになった。だが、なんのなんの。日本には『リング』以上に恐ろしい話が山とある。

『四谷怪談』、『番町皿屋敷』、『真景累ヶ淵』、『有馬怪猫伝』、『怪談牡丹灯籠』、『怪談乳房榎』などなどなど。みな、古典として有名な怪談だ。

そのうち、『四谷怪談』、『番町皿屋敷』、『真景累ヶ淵』、『有馬怪猫伝』はすべて、何らかの実話を元に歌舞伎や落語としてアレンジされている。中でも、『真景累ヶ淵』は八十年にわたる祟りの実話として資料もあり、関係した家の子孫も現地近くに暮らしている。また、『有馬怪猫伝』の舞台となった有馬家では、先祖の眠る墓地内に猫の供養碑が建ち、近年までは猫避けのため、犬を飼い続けていたという。

ここまで強力な怪談を芝居や落語にし、娯楽にするのが日本人だ。怪談における体力は、そうとうなものと言っていいだろう。

古典的な怪談の要素は陰惨・陰気・因縁・因果応報と、大体、「イ」尽くしで語られる。片や、実話とされる怪談は因果のないものが多い。だが、これはまた、理不尽ゆえに恐ろしい。ふいに訪れる金縛りや、旅先で撮った写真に偶然、写ってしまったナニカなんかは通り魔的な恐怖を感じる。

アクティブな日本の霊たち

もちろん、西洋にも怖い話は存在している。 映画『たたり(The Haunting)』(1963)で描かれた心霊現象は曖昧なゆえにリアルだし、『悪魔の棲む家(The Amityville Horror)』(1979)は実話が元になっているという凄みがある。 『シャイニング(The Shining)』(1980)も傑作だ。

しかし、これらはいずれも、いわくのある家に入ることで、事件が起こり、そこから逃れることで話が終わる。家から去った人達に霊は憑いてきたりしないし、部外者にも悪さをしない。 だから、そこに行かねば大丈夫という、他人事的な安心感がある。 

生憎、私はカナダはもちろん、長期間、欧米で生活したことがないので、実際、そちらの心霊事情がどんなものかはわからない。しかし、イギリスを筆頭に「幽霊屋敷」が多いのも、

霊は家に居着くものという、暗黙の了解

が人々にあるからではなかろうか。  

つまり、

西洋の幽霊達は引きこもり的というか、特定の家や場所から動く気配があまりしない

のだ。 

一方、日本の霊はアクティブだ。 

浮遊霊・地縛霊・憑依霊・生き霊・悪霊・怨霊に妖怪。そんなモノがうろうろしていて、挙げ句、神仏まで祟るのだから、おちおちしてはいられない。

いわくつき物件はもちろんヤバいし、山に入れば遭難者の霊につきまとわれるし、海で泳げば溺死者の霊に足を引っ張られるし、木を伐れば祟られ、狐には化かされ、寝れば金縛り、歩けば心霊スポット、写真を撮れば心霊写真……。  

こんな環境で育っては、意識せずとも怪談レベルは底上げされる。その上で、自分達が怖いと思う話をすれば、創作・実話を問わず、ハロウィーンの魔女など吹き飛ぶほどの怪談になるのは当然だろう。  

多分、日本人は心霊的体力と耐性がありすぎるのだ。裏を返せば、ある意味、鈍い。それゆえに霊達もどんどん容赦なくなって、結果、洒落にならない話が多く残ってしまうのではなかろうか。

 

加門七海 実話怪談語り 『振り向いてはいけない』

これは、私が友人から聞いた話です。  

あるご家族が仕事の都合で、都会から少し離れた家に引っ越しをしたそうです。ご夫婦に、幼い息子がひとり。  

引っ越した家そのものには何の不服もなかったのですが、暫くすると、ひとり息子が病気になってしまったそうです。  

当然、病院に行って診てもらいましたが、病名がわからない。経過も全然、思わしくない。  

入院して、あれこれ検査ばかりしているうちに、息子はどんどん衰弱していき、このままでは死んでしまうという状況にまで追い詰められてしまいました。  

もう、神頼みしか手段がない。  

元々、信心深い人だったのか。それは聞き忘れてしまいましたが、ともかく、ご夫婦は知り合いのつてを辿って、霊能者に相談したそうです。  

すると、話を聞いた霊能者は厳しい顔で言いました。

「子供に恐ろしいモノが憑いている」 

引っ越した家は中古でした。実は前に住んでいた家族にも、息子と同じ歳くらいの男の子がいたのですが、その子も病気で亡くなっている。  

その因縁か、あるいは家自体の因縁か、ともかく、そういうモノが取り憑いて、息子は危険な状態にある、と。

「どうしたらいいんですか」  

夫婦が訊くと、霊能者はこう答えました。

「人形{ ひとがた} で子供の体を撫でて、夜、それを川に流しなさい。そうすれば、きっと息子さんは助かります」

 ――だが、と、霊能者は続けて言いました。

「川に流すまでの間、何があっても振り向いてはなりませんよ」 実際のところ、そういうことをやること自体、怖いわけです。でも、子供のためだから、夫婦は人形をいただいて帰りました。  

次の晩、霊能者に言われたとおり、人形で子供の体を撫でて、両親は川のある土手に向かって歩いていきました。  

お母さんが人形を持ち、お父さんがその後ろをガードするように歩いていきます。  

田舎ですから、夜中は人っ子ひとりいません。なのに、暫く行くと、後ろから声が聞こえてきた。

「おーい」「おーい」  

夫婦を呼んでいるようですが、もちろん、振り向かずに歩きます。脅かすような物音もします。そればかりか、最後には、自分の息子の声まで聞こえてきたそうです。

「お母さーん」「お母さーん」  

入院している息子がここに来ているはずはない。  

本物ではない。そう思って、一生懸命、振り向かないようにしながら、お母さんは人形を握りしめて土手まで行きました。  

土手を上ると、漸く川が見えました。  

あと、もう少し。  

ここまで来れば、もう大丈夫。  

お母さんがそう思った瞬間――。

今まで黙って後ろをついてきたお父さんが、いきなり、ガッとお母さんの肩を掴んで、振り向かせてしまったそうです。  

どうして、そんなことをしたのか。お父さんは、そのときのことをまったく憶えてなかったそうです。  

業を煮やした「恐ろしいモノ」が、父親に取り憑いたのか。  

それもわかりません。  

けれど、息子は助からなかった、と、聞きました。 (了)

kamon 加門 七海(かもんななみ)

プロフィール
東京都生まれ。多摩美術大学大学院修了。 学芸員として美術館に勤務した後、1992年に『人丸調伏令』で作家デビュー。
神仏、呪術、オカルト、風水、民俗学に造詣が深く、小説やエッセイなど様々な分野で活躍する他、肝試しならぬ命懸け?のオカルト・ルポルタージュに於ける第 一人者でもある。
心霊体験も豊富で、特技はひとり百物語。 隠れた特技は、初対面の人から食べ物や飲み物を貰ってしまうこと。
古武道と登山を趣味とし、聖地巡りのために心身共に鍛え上げる”ガテン系聖地巡リスト”としても名を馳せる。
『うわさの神仏』『霊峰富士の力 日本人がFUJISAN の虜になる理由』『猫怪々』『もののけ物語』『墨東地霊散歩』など著書多数。


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