一服どうぞ
日常の中での茶の湯

〜高橋恭子の茶道コラム〜 ●日常の中での茶の湯

 はじめまして。
 裏千家茶道講師の高橋恭子と申します。不定期ですが、こちらの紙面をお借りして、茶道の魅力を読者の皆様にお伝えして参ります。
 「茶道」と聞いて、皆さんは何を思い浮かべられるでしょうか。和菓子と抹茶を畳の上で正座していただくから足が痺れて大変そう、とか決まり事がたくさんある堅苦しい習い事、などと思われる方が多いのではと思います。
 いずれも間違ってはおりませんが、それらのことを差し引いてもあり余る魅力が茶道にはあります。
 茶道は「茶の湯」とも呼ばれ、抹茶と湯と茶筅さえあれば どなたでも茶を点てることができます。その茶を点てる工程を「点前」といい、何十種類もの点て方があります。美味しいお抹茶を点てるのは大切なことですが、点前習得は茶道を学ぶ過程においてほんの一部分にしか過ぎません。
 茶の湯は総合芸術とよく言われるように、書画、禅語、生花、庭、美術、懐石料理、菓子なども同時に学んでいきます。床の間に掛ける軸から禅語を学び、野にあるように生ける茶花から自然の尊さを感じ、茶道具を通じて日本の伝統工芸に触れ、家庭料理の延長線上にある懐石料理と和菓子にも親しむ、と奥は深く、興味は尽きません。
 日本の芸術文化に置いて茶道が特殊なのは、歌舞伎や能のように演者と観客が離れておらず、亭主(もてなす側)と客(もてなされる側)の両者が共同して場を創り出すというところです。もてなされる側も作法を知っておく必要があるので、堅苦しくて大変そうだと思われるかもしれませんね。
ですが、茶道を学ぶ上で身に付いてくるあらゆる所作は、日常生活でも非常に役立ちます。歩き方、お辞儀の仕方、食事や菓子のいただき方、挨拶の仕方、道具の扱いなど学んでいくに従い、日々の所作も洗練されてきます。
 一生勉強しても学びつくすことのできない茶道ですが、茶道を学ぶ人の最終目標は、何年にもわたって学んだ知識をすべて用いて茶事(正式な茶会)を苦もなく開くことができるようになることかと思います。炭で湯を沸かし、心尽くしの懐石料理をお酒と共に振る舞い、濃茶薄茶をお出しするという4時間にわたる茶事は、おもてなしの集大成とも言えます。
 茶道を学んでいく上で、大切な「和敬清寂」という4つの理念があります。和の心を持って人に接し、お互いに敬意を表し、心身を清らかにし、何事が起きても乱されない不動心を身に付ける。
これらの茶の湯の教えが広まれば、この世から争い事もなくなるのではと常々思います。
 茶道は、日々の生活にも潤いをもたらし、人として成長できる素晴らしい日本文化であることを自分の経験をもとにお伝えさせていただきます。

高橋恭子(宗恭)茶道裏千家 準教授
2014 年からノースバンクーバーの自宅の茶室「白峰庵」にて茶道を指導。公共の場でのデモンストレーション、「白峰庵」での 一般公開の茶会などを通じ、精力的に茶道の素晴らしさを伝えるべく邁進中。茶会、お稽古の見学、その他のお問い合わせは
yasuko_71@hotmail.com へ。

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