【バイオリニスト】 富永 伊津子

観客の前で演奏する時は、とても緊張します。普段と違う状況におかれることで、普段の技術や力を越えた表現ができるのです。

 ふんわりと温かい笑顔が魅力的なバイオリニスト・富永伊津子さん。「バイオリンひとつひとつに、違った個性があります。自分の出したい音、自分の思いに反応してくれる楽器を探していくんです」。楽器は演奏家にとって、言わば“相棒”。伊津子さんが“相棒”を手にした瞬間、周囲に心地よい緊張感が生まれ、驚くほど力強く心に響く音色が流れ出す。
楽器のすぐ近くで聞く「本物」の音を、皆さんに知ってもらいたいと伊津子さんは願う。

バイオリンと共に歩んできた道

 バイオリンを始めたのは、2 歳10 ヵ月の時。「母が音楽好きだったので。バイオリン教室を見学して、私がやりたいと言ったらしいのですが、自分では覚えていません(笑)」

レッスンは続けていたが、勉強が忙しくて中断した時期もあった。「勉強を10 時間やっても、なんだかピンと来なかったのですが、芸術の科目は自然にできてしまうんですよね」。他の人とは違う自分に気付き、高校は音楽科に進んだ。
 日本の音大を受験したが、そこは自分の場所ではないような気がした。ちょうどその頃、レッスンを受けていたバイオリンの先生が、交換教授でイギリスに行くことになった。「ちょっと外国を見てみるかい?」と誘われ、イギリスに渡る。ホームステイで楽しく過ごしていたが、5 ~ 6 月のRoyal Academy of Music(王立音楽院)の卒業試験を見学して、大きな刺激を受けた。

「ここで勉強するんだと勝手に思ってしまったんです(笑)」。

 時期はずれだったが、特別にオーディションをしてもらった。「英語があまりできなかったので、願書を書くのが一番大変でしたね(笑)。結果が出るまでの1 ヵ月は、生きた心地がしませんでした」。
結果は、“合格”。これが伊津子さんの進むべき方向を決めた。
 王立音楽院では、「練習室に住んでいるんじゃないかというくらいに、練習している人もいました。演奏だけでなく、勉強もできないと落第します。私は、英語コンプレックスもあったので、そんな自分が悔しくてがんばりました。日本の大学は入ると楽しいというのに、毎年どんどん大変になっていき、“こんなはずじゃない!”と思っていましたね(笑)」。

 大学院終了後は、イギリスで演奏家として活動した。室内楽やソロなど、自分自身で作りあげる音楽が、自分に向いていると感じている。「演奏する時ですか?それは、ものすごく緊張します。普段と違う状況なので、違う力が本番に出ることがあるんです。普段の技術を越えた表現が出てくるんですよ。私の場合は、観客があってこそ力が出ますね」

音楽に映し出される演奏者の人生

japan

日本でのリサイタル

 音楽家には、アスリートと共通するものがある、と伊津子さんは言う。ひたすら練習を続け、身体に演奏を覚えこませる。練習を繰り返し、身体を競技に合わせて造りかえていくアスリートと同様である。長い曲を演奏する時には、マラソンランナーのように、ペース配分を考えて、曲の流れと力の入れ加減を調節する。「音楽の表現には、その人の人間性や人生がそのまま出てきます。人間的に面白い人の演奏は、表現が深い。技術以上に、そういう内面的なものが人を感動させるのだと思います」。音楽は競い合えないものだと、伊津子さんは思っている。競争が厳しく、プレッシャーがすごいと言われている王立音楽院でさえ、「私は、周りを気にしないタイプなので…」と、マイペースで学んできた。“コンペティションは、性に合わない”という温厚な人柄が、演奏にも込められているのだろう。

クラシック音楽をもっと身近なものに

 伊津子さんにとっての音楽とは、「小さい頃からいつも身近にある、空気のようなものですね。“無い”ことが想像できないです。そして、きれいな空気でないとダメ。きれいな音楽が必要なんだと思います」。自分の演奏と同時に、他の演奏家の演奏をよく聴いて、美しい音楽のイメージを広げる。
 この夏から、バンクーバーに活動場所を移した伊津子さん。「クラシックは敷居が高いと思わないで、気軽に聞いていただきたいです」。イギリスでは、あちこちの教会で “ランチタイム・コンサート”が日常的に開かれている。昼休みのちょっとした時間に、ドネーションや無料で気軽に生の演奏を楽しむことができる。「観客にとっても良いことですし、演奏家にとっても演奏の場があるということは良い経験になります。将来はそんな場所を提供する活動をしていきたいと思っています。ポップなアレンジをしたり、耳に馴染みのある曲を演奏するのもひとつのやり方ですが、これまで私たちがやってきたそのままのクラシック音楽の素晴らしさを出せるようにしたいな、と思うんです」。
 音楽は、人の心を豊かにする。「音楽がなくても、飢え死にはしないけれど、食べる物では補えないものを満たしてくれるのが、音楽の素晴らしさだと思います」
 伊津子さんの奏でるバイオリンの音色は、心の奥深くに力強く、そして優しく染み透る。

tomi富永伊津子
北大阪出身。高校卒業後、イギリスに渡る。
奨学生としてRoyal Academy of Music(王立音楽院)、ロンドン大学にてBachelor of Music (学部)、 Master of Music(修士)修了。その後、Royal Northern Collage of Music (英国王立北部音楽大学)、 Research Progrmme (博士課程)で学ぶ。

 

2008 年、Cavatina Music Competitionで優勝(同時に Audience 賞も受賞)した他、数々の賞やスカラーシップを受賞している。
2014 年よりバンクーバーに拠点を移す。現在は、フル・スカラーシップ、the International Tuition Award、the Faculty of Arts Graduate Award を得て、UBC の博士課程に在籍しながら、演奏活動・研究を続ける。


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