Dream 『夢』 高木 智代

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「夢」を追ってバンクーバーに来た人がいる。バンクーバーに来て、夢を見つけた人がいる。彼らが追い かけるものとは何か。どのようにしてその夢とめぐり逢ったのか。彼らは今、この街の空気の中で 何を感じているのだろうか。彼ら一人ひとりが自らの中に秘めているストーリーを聞く。

与えられたチャンスは受け止めて、とりあえずチャレンジしてみる!

高木 智代 (24歳) 学生

■盲学校→大学→海外。世界は確実に広 がっていく

 d2幼稚園から中学校まで、福岡県柳川市の盲学校に通った。将来は教員になりたいと思い、高校からは東京の盲学校に進学。そして大学を目指した。「大学受験は大変でした。点字受験だと、読まなければいけない量が多いので時間がかかって、センター試験のマークシートなどは不利になるんです。推薦入学がなかったので、“じゃあ一般受験でいいです”という感じで…」。さらりと話す智代さんだが、相当な努力をしたに違いない。名門津田塾大学に見事合格。卒業時には念願の教員免許(中高・数学)を取得した。
 大学在学中、知的障がい児のサポートをするサークルに参加していた。自閉症・ダウン症など、言葉も出せない子どもたちと一緒に過ごす。

「楽器で遊んだり、劇をして見せたり、サンドイッチを作ってあげたり、色々やりました。コミュニケーションをとれない子が多く、私には表情が読めないので大変でした。でも、自分がどういうふうにしたらこの子たちと接していけるのか、それを考える良い機会になったと思います」。

この時の経験が、後に智代さんの進む方向を決めるひとつの大きな理由ともなる。
 もう1つ、大学時代の大きな経験は、中学生の頃からやっていた“ゴールボール”の世界大会に日本代表選手として出場したことだ。ゴールボールというのは、鈴の入ったボールを音を頼りに転がしてゴールに入れて得点する、視覚障がい者の球技のこと。パラリンピックの正式種目にもなっている。

「私にとっては初海外だったアメリカのコロラドに行きました。結果は最下位だったんですけれど(笑)、色々な国から来た人たちと関われたのが良かったです。ここでカナダ人の子と仲良くなったのが、カナダに来るきっかけになりました」。

 大学3年生の春休みに、1ヵ月間バンクーバーに滞在。日本と違い、視覚障がい者にも普通に接してくれる暮らしやすい場所だと感じた。カナダには盲学校がひとつしかなく、視覚障がい者も地域の学校に行くのが普通だと聞いて驚いた。「日本には 50校以上の盲学校があるんです。(視覚障がい者が)地域の学校に行きたくても環境が整っていなかったり、いじめがあったりで、なかなかうまくいきません」。“どんな子どもでも同じ教室で勉強する”というカナダのやり方に感銘を受け、ここで本格的に勉強したいと思った。

■人との出会い、目の前に置かれたチャンスを大切に

 大学卒業後、留学の目的で再びバンクーバーへ。当初予定していた学校には行くことができず、ホームステイも様々な理由で 5回も変わらねばならなかった。壁にぶつかる度に「どうしよう…」と思いながらも、なんとか自力で切り抜けてきた。昨年の9月からは、キャピラノ大学で Early Child Careand Education を専攻、現在は勉強に励む毎日を過ごしている。

「もとは先生になりたいと思っていましたが、今はもっと自由な立場から障がい児教育に関わっていきたいと思っています。カナダのやり方を学んで、日本を変えていくきっかけを作れたら良いなと思うんです」

 夢を叶えるために、堅実に1歩ずつ前進する。

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笑顔のチャーミングな智代さん。ふんわりとした雰囲気の中にも、芯の強さと賢さが感じられる。また目の前に置かれたチャンスには、“私には無理~”などと尻込みせずに果敢に挑戦するチャレンジャーでもある。スキー、ゴスペルソングのコーラス(ステージで歌声を披露!)、ダンスイベントではダンスも楽しんだ。幼児に英語を教えるコースも受講、現地のプリスクールで教育実習も経験した。そして、なんとファッションショーにも出演! プロのモデルさん達の中で、堂々とモデル役も務めた。「自然体で、与えられたものは全部受け止めちゃうんです(笑)。人との出会いは、大事にしたいですね」。d3
 人生、明るく楽しい。そして常に努力をし続ける。智代さんと話していると、全盲という状況が「障がい」ではなく、ひとつの「個性」なのだと思われてくる。そんな前向きな智代さんの人柄に魅かれて周りに人が集まり、そこからまた新たな道が開かれていくのだろう。  

 智代さんだからできること。智代さんでなければできないこと。そんな「夢」に向かって笑顔で歩み続ける姿勢に、爽やかな感動を覚える。(取材 原 京子)

 

インタビュー

自分はどんな性格だと思いますか?

 何でも、「とりあえずやってみよう!」というところがありますね。まず直観で動いちゃう。いくつかの選択肢があると、まず直観で答えを出して、そのあとで考えていくというタイプです。

なぜバンクーバーに?

 大学 2 年生の時、ゴールボールの世界大会に参加して、カナダ人の子と仲良くなりました。帰ってからも連絡を取り合い、大学 3年生の春に 1ヵ月滞在しました。今思えば、“下見”でしたね。大学を卒業し、今度は本格的に勉強するために来ました。“言い出したら聞かない”と両親も知っているので、「どうせ行くのなら早く行ってきて、帰ってからちゃんと就職しなさい」と、送り出してくれました ( 笑 )。

留学することについて、迷いはなかったですか?

 先輩で海外に出ていた人たちがいたので、「自分も行ける」となんとなく思っていました。最初はやる気だったけれど、だんだん現実になると不安にもなってきました。でも、結局は「行けばなんとかなる!」と思って(笑)。無茶なことはしません。色々と調べて、本当に大丈夫だと思わなければやりませんので。

困ったことがありましたか?

 最初はカレッジで勉強するつもりで来たのですが、どうしてもうまくいかなくて…。本当にだめで、どうしたらいいんだろう? 他の道は何だろう?…と悩んだ末に、キャピラノ大学に行くことに決めました。ホームステイ先も 5 回も変えています。毎回なんとか自分で探しました。

ファッションショーのモデルも体験されたのですね?

 9月からステイしている所のホストマザーが、ファッションショーのコーディネーターの方でした。ステイし始めて数日後に「ファッションショーに出ない?」と言われ、「え~ ⁉ 本気なのかな~?」と思いました(笑)。でも、これもひとつのチャンスだと思って引き受けることにしました。当日は、「本当に私がここにいて良いのかな?」と思ってましたよ~(笑)。

将来の夢を聞かせてください。

 障がいを持つ子どもたちの支援をしたい。障がい児本人はもちろんですが、それを支えている家族の支援もしていきたいです。カナダの障がい者との関わり方の良い所を日本にも伝えて、日本が少しずつ変わるきっかけを作れれば、と思っています。


原京子

フリーランス・ライター。1994年よりバンクーバー在住。カナダでの5人の子供の子育ての経験を通して、主婦として母としての視点から、タウン誌、雑誌、ウェブサイトなどに情報を発信中。ライターとして、たくさんの方々にお会いできることが人生の宝物。年を重ねるごとに、ますます「人」が愛おしく感じられている。

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