”ここ”にいる人に聞く
琉球大学名誉教授  高嶋 伸欣氏

10 月15 日に開かれた講演会『和解に向けて(アジア太平洋戦争終結70 周年)』の講師として、日本から来加した高嶋伸欣さん。高校の社会科教師としての豊かな経験と、40 年以上に渡って関わってきた東南アジアについてのお話を伺った。

Dec15,2011512 両親とも教員という家庭に生まれ育った。1910 年、高等師範の学生だった父・信太郎は、妻・ハナと共に移民の子どものために開校されたスティーブストン日本語学校の初代校長として派遣され、10 年間をカナダで過ごしたという。「父がこのことを語ったことはなく、後になって家族から聞き、いつかバンクーバーを訪れたいと思っていました」。高嶋伸欣さんご夫妻は、今回の来加時、念願のスティーブストン日本語学校訪問を果たしている。

教科書に載っていない事実を伝えたい

 地理を専攻していた大学時代に日本全国を旅して回り、たくさんの人々と直接関わって見聞を広めた。「農村を訪ね歩いてみて、戦後に海外の植民地から引き上げてきた人々がどんなに苦労しているかを初めて知りました。こういう教科書に載っていないことを教えるために、社会科の教員になりたいと思ったんです」。
 “正しい”と思うことは、たとえ相手が指導教官であっても妥協せずに徹底的に議論した。時に友人から心配されるほどの徹底ぶりだったが、そういう信念を通したやり方などを見込まれ、筑波大教育学部付属高校の教員に採用される。

自分で考えて納得してもらえる授業を 

 この学校の社会科教員は、ユニークかつポリシーを持った人たちの集まりで、着任時に「教科書通りの授業ではダメ」と言われ、プリントを中心とした独自の授業作りに専心した。「当時は、“学生環境整備週間”というものがあり、生徒が教員の授業のやり方について、自由に意見を言えるようになっていました。“勤務評定より怖い”という人もいたくらい厳しいものでしたが、良い緊張関係がありましたね」。大学で教鞭をとっていた時も、毎回授業の終わりに学生たちに意見や質問を書いてもらい謙虚に耳を傾けていた。「生徒や学生が、自分の頭で考えて納得できる授業作りをしたいのです。“権威のある学者が言うから”とか“教科書に載っているから”ではダメなんです」。教える側も学ぶ側も真剣だった。

東南アジアとの関わり 

 1975 年、東南アジアに行く機会があった。授業で使う教材の写真を撮ろうとマレーシアに行き、食堂に入ると1人の人が近づいてきて「日本人か? この辺りで、日本軍が住民を殺したのを知っているか?」と言われ、慰霊碑に案内された。文字を拾い読むと、確かにアジア太平洋戦争中の日本兵による住民虐殺の経緯が書かれていた。日本に帰国してから資料を探したが、その当時、東南アジアの戦争の傷痕についての記録はほとんどなかった。「自分で調べるしかない」と思い、それ以来、毎年現地に行き調査を続けている。始めは、“日本人がなぜ来たのか?”と責められたり、石を投げられることもあった。「でも、地元の人の中にも、“日本人の中にもこういう人がいるのだから”と守ってくれる人もいた。教員として、日本の侵略の事実を日本の生徒に教えるためだということが少しずつ分かってもらえるようになり、そのうちに協力してくれる人が現れました」。日本でも協力者が集まり、1983 年からは教員仲間や関心のある人々の希望により『東南アジアの戦争の傷痕に学ぶ旅』を主催するようになった。このツアーはこの夏で41 回目を迎えている。

心の奥にある差別意識Dec15,20115122

 学生に、東南アジアのイメージを尋ねたことがある。大人の持つ差別的なアジア観がそのまま映し出されていた。”能力的にも日本は優秀だ“という間違った思い上がりを何とかしなくてはならないと思った。「私がこれらの事実の発掘に取り組んだのは、“日本兵が残虐行為を疑問もなしに実行できたのは、差別的なアジア観をいつの間にか身に付け、占領地の人々を虫けらのように思い、心の痛みを感じることもなく殺害命令を実行したためだろう”と生徒に気づかせることで、差別的アジア観の誤りを認識させられるのではないかと考えたからです」。
 日本軍により、戦時下のマレー半島・シンガポールで行われた中国系住民の無差別虐殺の追悼碑・墓地は、現在では70 ヵ所以上も確認され、その証拠となる日本軍の公式書類も発見された。現在では、現地の若い記者たちも虐殺事件などの調査に乗り出している。過去に起きてしまった事実は、歴史として受け止めていかなければならない。「これは、日本人としての責任問題です」と高嶋さんは指摘する。

和解への道

 日本人として、「知らない」では済まされない歴史がある。事実を受け止めることは時に苦痛を伴うが、真摯に向き合い誠実に行動することで新たな道が開かれる。高嶋さんらが長い年月をかけて、被害者である人々との間に地道に積み上げてきた信頼関係。そこには「和解」への希望がある。高嶋伸欣さんの歩んできた人生が、そのことを証明している。

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『権威のある学者が言から』とか『教科書に載っているから』ではなく、自分の頭で考えて納得していくことが大切なのです。

高嶋 伸欣氏(73 歳)琉球大学名誉教授
 元高校社会科教員としての経験を活かし、教科書執筆や教員養成に取り組んできた。
 また、30 年以上『東南アジアの戦争の傷跡に学ぶ旅(通称『高嶋ツアー』)』を主催、日本軍占領時代の歴史や戦争の記憶の調査研究及び出版に関わる。
 2015 年10 月17 日にバンクーバーで開かれた講演会『和解に向けて』(Towards Reconciliation)~アジア太平洋戦争終結70 周年~の講師として来加。

原京子

フリーランス・ライター。1994年よりバンクーバー在住。カナダでの5人の子供の子育ての経験を通して、主婦として母としての視点から、タウン誌、雑誌、ウェブサイトなどに情報を発信中。ライターとして、たくさんの方々にお会いできることが人生の宝物。年を重ねるごとに、ますます「人」が愛おしく感じられている。

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