【奥山 紗紀】9月15日カバーモデルストーリー

バンクーバーのバレエ学校へ3年間留学されていた奥山紗紀(おくやま さき)さん。ひたむきにレッスンを重ね、様々な舞台を踏んできた彼女は今、新たな目標を見据え、引き続きワーホリとしてカナダに滞在する。彼女のバレエへの思い、バレエを通して知ったバンクーバーの魅力を伺った。

sep152015バレエは、失敗が失敗としてはっきりと見えてしまうんです。その難しさに打ち込みました。自分を痛めつけるのが好きと言うか…辛いのが好きです(笑)。

奥山さんのダンス歴は多様だ。最初に始めたのは、日本舞踊。その後、ジャズダンス、ヒップホップと続く。

そしてバレエ

早い人は3 歳くらいからレッスンを始めるというバレエの世界では、やや遅めの12 歳からのスタートだった。色々なタイプのダンスの経験があった奥山さんにとっても、バレエは一番難しかった」のだとか。

一つひとつの所作が完成されているバレエでは、ごまかしがきかない。

その難しさが、彼女の情熱に火をつけた。

 故郷の札幌でレッスンを受け続け、高校卒業後、ロシアのノボシビルスクにあるバレエ学校へ留学を決めた。けれど、マイナス50 度になることもある厳しい冬、明るいうちでも日本人の1人歩きは危ない…と付き添いか学校からの許可がないと、外出もままならない、など、日本とは全く違った生活環境。

お湯が止まったり、水道から泥水が出てきたこともあった。

言葉の難しさに加え、学校と寮を行き来するだけの日々にストレスはたまり、結局1 年で帰国することに。

しかしながら、一流のロシアバレエに触れ、見るものすべてが美しく、体で感じることもできたこの時間は貴重なものだった、と振り返る。

 日本へ帰国した後は、しばらくバレエから離れた生活を送った。ヨガのインストラクターの資格を取り、バイトをする日々だったが、1 年もするとバレエへの思いが再燃。それまで自分なりにトレーニングはしていたが、やはり本格的に学びたいと、バンクーバーのバレエ学校の門を叩き、ビデオオーディションを経てカナダへやって来た。

バレエ学校の1日は、朝9 時15 分に始まる。1 時間半のレッスンの後は、12 月に行われる恒例の『くるみ割り人形』公演に向けての練習だ。帰りが連日夜8 時過ぎになるほどの膨大な時間を費やしてリハーサルを重ね、本番に臨む。

その後、冬休みを挟み、小規模な舞台をこなしつつ、6 月の年度末の大舞台への準備。また、6 月には12 月の公演のオーディションもある。その後は夏休み、という流れだ。

 日本、ロシア、カナダと3 ヵ国のバレエ学校に通ってみて、バンクーバーは彼女にとても合っていたという。ディレクターの中国人講師は、とても厳しく、容赦なく怒り、時に手も出る。でも、そんなところも気に入っている。

ロシアの学校ではパフォーマンスがあっても、日本人には機会がなかった。まずはロシア人優先なのだ。

その点、バンクーバーの学校は国際色豊かで、日本人であることの壁はあまり感じずに過ごせたことは大きかった。また、12 月の公演では、世界的なダンサーと同じ舞台に立ち、オーケストラの生演奏をバックに踊るという貴重な経験を得た。北京公演にも参加し、中国のバレエ学校を訪れたり、著名な人たちに会うことができたのも、今の学校だからこそ。

バンクーバーを選んで正解、自分のバレエ人生の中でも良い時間だった

と言い切る紗紀さん。食べ物も美味しいし、アジア人が多いせいか、馴染みやすい街並み。大都会ではないけれど田舎でもないところが、故郷の札幌に似ている。

そして何よりも、尊敬できる師との出会いは、大きな収穫だった。

カナダに来た頃はダンサーを目指して いたが、いつしかその眼は、尊敬する先生のようなバレエ教師への道へと向けられるようになった。

日本では、バレエ教師になるための特別な資格はいらないが、カナダでは、1 年間で4 つの試験をパスする必要があり、今はそれが大きな目標だ。フランス語を使う細かいバレエ用語の難しさもさることながら、体では分かっていることを、言葉にして教えるということが難しい のだそう。z8
  これからは、ワーホリとしての生活が始まる。もちろんバレエに関わって行くつもりだ。願わくは、バレエの先生の仕事を見つけられたら、と目を輝かせる紗紀さん。

多くのものを得られ、自分らしくいられるバンクーバーに長く滞在していきたいと言う。

「意地でもいる、という勢いで頑張ります!」

ハードルが上がれば上がるほど、彼女はより美しく、力強い跳躍を見せてくれることだろう。


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