【VIFF】『GONIN サーガ』石井 隆監督に聞く!

 バンクーバー国際映画祭(VIFF)では、1995年に『GONIN』、1996年『GONIN 2』が上映されており、今回の『GONIN サーガ』は、VIFFからの熱烈なリクエストがあっての参加となった。

 1996年のモントリオールFANTASIA映画祭の”石井隆特集”において、『GONIN』『GONIN 2』が招待上映され、石井監督も現地を訪れた。その帰路に、ナイアガラやバンクーバーに立ち寄ったことがあるそうで、今回はそれ以来のバンクーバー再訪となった。
 
 20年近くを経て、『GONIN』の正統派続編である『GONIN サーガ』がバンクーバーで上映され、再びこの地を踏んだ石井 隆監督に、『GONIN サーガ』、そして映画作りへの思いについて、お話を伺った。

石井隆監督

夢だった映画監督になったきっかけ

オリジナルの『GONIN』から20年ぶりの続編『GONIN サーガ』が上映されましたが、劇場で観客の反応などをご覧になった感想はいかがでしたか?

石井監督:とても笑い声が多かったので、まずちょっと戸惑いました。一生懸命シリアスに、悲しい物語を作ったつもりだったんですが…。でも、みんなに『映画としてエンジョイしているんだ』と言われて、納得しました。

 雨の中、花を撃つシーンは、スタッフ全員で花を散らしながら苦労して撮ったんですが、あそこで笑われちゃうと『あの厳しかった現場は何だったんだ!?』って思っちゃいますね。スタッフ全員は、笑わそうと思って撮ったわけじゃないですから(笑)。
 あの子(東出さんが演じた久松勇人)が、気持ちが変わっていくターニングポイントなので、雨をじゃんじゃん降らせてね。

子供の頃から映画監督になりたかったということですが、漫画家をされていたこともありますね。その時の経験は、後に監督業とリンクする部分はありますか?

石井監督:背景を描くときに、自分で写真を撮って現像して、ゼロックスで白黒コピーにして貼り付けて、それを見ながら、キャラクターがこっちからこう入ってきて、こんなふうに動いて、セリフはこうで…、と自分で絵コンテを描きながらやってたんです。漫画を描く時、先生も助手もいなくて、いきなりなってしまったので、見よう見まねで映画を撮るような気分でやってたんですね。

 ある時、僕の原作がヒットして、日活からシリーズにしたいと話があって、「女高生 天使のはらわた」というのが映画化されたんです。
 それがきっかけで、プロデューサーと友だちになったりしたんですが、彼から『石井さん、うちの女優さんのヌード写真を撮ってみませんか』と言われて、撮ったことがあったんです。

 その時に、僕がカメラを持って女優さんに、ああして、こうして、と指示しているのを見て、監督みたいだな、と思ったと。『もしかしたら(映画を)撮れるかもしれないな』と言って、会社に話をしてくれた。
 2年ほどかかって、監督のオファーが来たんですね。
 ぐるぐると巡り巡って、一度は諦めたのが、もう一度…っていう感じです。

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『映画監督になる』ということ

現場での石井監督は、どのような感じだったのですか?

石井監督:学生時代に3ヵ月だけアルバイトで助監督をしただけで、現場の経験は殆どないまま、42歳の時に初めて監督をしたんです。

 何せ初めてでしたから、思いはいっぱい詰まってて、カメラの人にああしてください、こうしてください、と色々言ったんですね。でも、低予算の映画だったので、カメラさんに『そんなクレーンねえよ』だの『そんなことできねえよ』ばかり言われて、もうボロクソにいじめられた、というか。
 ポツンと絶望して、突っ立ってたような感じで、『やっぱり俺はダメだ』って、絶望しかけてたような監督だったんです。

 ただ、できた映画を見て、また監督をオファーしてくれる人が続いて、10年、15年と、監督を続けながら、現場で助監督修行をしていたようなもので。
 そのうちに、だんだんと落ち着いて見えるようになってきた

 そういうことがあるから、多分、普通ならば現場で助監督を10年やる、というようなシステムが出来上がっていたんでしょうね。
 映画というのは、人の生まれから死までを撮るようなパラレルな世界で、それを、いきなり現場に飛び込んできて、簡単にできるものではないんですね。
 助監督にも、サード、セカンド、ファーストとあって、衣装から色んなことを担当していくんだけど、それこそ『誕生から墓場まで』を担当していって、『人の人生』を覚えていくんですね。
 最後になると、人のスケジュールを覚えて、段々と監督に近づいていく、ということを修行しなきゃいけない。

異業種からの監督ということで、苦労されたことも多かったのですね。

石井監督:僕はいきなり入ったもんだから、カメラマンとかスタッフも言うことを聞いてくれないし、馬鹿にするし。最初から絵描きでしたから、絵コンテを書いてスタッフに渡すんですが、『こんなの、この予算で誰が撮るんだよ?』と、投げられちゃうんですよ。
 『1億2億あるなら別だけど、1千万、2千万じゃないか』と、その辺にポンと捨てられて。
 その絵コンテの上に踏まれた靴の跡があったりするんです。
 そういうのを見つけると、やっぱり…無残ですよね。心が打ち砕かれて、自分の夢を踏みつけられたみたいになって。

 そういう経験をしながら、だんだん、僕のやり方がまずかったんだな…、と思いながら、上手く接することができるようになってきました。
 徐々に、ゆっくりでしたけど、10年、15年かかってそれを覚えた。
 そうすると、僕もスタッフを信用するようになるし、前もってきちんと、こういうものを用意して下さい、ここでこうします、と言えるようになってきたんです。

 上手くなってきたら、この役者にはこう接しよう、というやり方を覚えてきたような気がするんです。
 一概にこう、というのではなく、その時のインスピレーションで、この役者にはこうしよう、この子は放っておいたほうがいいな、とか、この子はもっと突っ込んだほうがいいな、とか。
 その場で話をしながら考えますね。役者さんとは、必ず前もって台本を見て話し合うこともします。

今回、石井監督作品に出演するのは初めてという若い方とのお仕事でしたが、第1作の『GONIN』の撮影の時とは、勝手の違いなどはありましたか?

石井監督:『GONIN』は、まだ僕が監督になって、4、5年の時でした。相手の役者さんたちは、色んな所で仕事をしていて、顔も売れているような人たちだったので、なかなか僕が言っても、動かない。

 たとえば、元木くんに(佐藤)浩市くんにキスしてください、と言っても、やだやだ、と騒いでて。で、浩市くんからの提案で、彼からキスするようにしたんです。本当はそれをやると話が違ってくるんですが、仕方ないなと思いながら撮ったんですね。
 そのように、元木くんからすれば、もう一つ僕に信頼がなかった、というのがあったんだろうなと。

 今では、僕がこれまで20本近く撮っているのを前もって見ていて、
『ああ、このおっさん、こういう映画を撮るんだ』
と、役者のほうが見ていて、ある程度引き受けるときに、嫌なら嫌、受けるなら受ける、とあちらの方で判断して来るんじゃないかと思うんですね。
 こっち側からこれだけの「サンプル」がありますよと提出できるから、あっちも見てくれる。
 前もって名刺交換をして、信頼関係みたいなものがあって、そこから始められるので、こっちも2、3度前もって話をすれば、信頼関係はいいかな、というふうに雰囲気がつかめるようになったんです。

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映画作りに抱く思い

物語や脚本を作る着想や、モチベーションは、何が一番大きいでしょうか。

石井監督:もともとは、「名美と村木」っていう僕の作品で、ハードなメロドラマ、っていうんですか。ああいう、「ハッピーエンドじゃないメロドラマ」というようなものを、ヨーロッパ映画でよく見る時代だったんですね。
高校大学と、映画を見ていると、自然とそういう作風になっていった。女性も非常にアンニュイで。

 そんな「メロドラマ」、とはその時代には言わなかったですが、そういう「男と女の関係性と生き死に」みたいなものを、まずコアな形で描いています。
 それを、衣装と時代で変わったり、アクションであったり、色々と言い方は変わるんですけど、核は男と女。特に女を描きたい、”不思議ないきもの”という感じなんです。

映画を作るという、大きなお金もかかるし、たくさんの人も関わる大変な仕事を、20年以上続けて来られた原動力は何でしたか?

石井監督:まず、人から言わせるとラッキーだったんじゃないですかね。1、2年止まっても、声をかけてくれる人がいる。そういう出会いがあって、その人がいなくなったら、またどこかから声がかかってくるという、それの連続だったんですよね。
 でも、時代が大きく変わって、テレビ局の時代になって。テレビ局の人とやっていた時期もあったんですが、途中で降ろされたりして、それ以来ないですね。まあ、後で聞くと、何から何まで指示されるそうなので、僕は無理だったろうな、と。

 僕は、勝手に振舞っているわけではないですが、見る人のためにアメージングな映画を作ろうと思って、一生懸命、面白いものを面白いものを作ろうと思っているんです。そういう意味では、わりと色々言われずにやってきた、というのは、やっぱり人との出会いだったんだろうなという気がしますね。

次の構想は、どのようなものがありますか?

石井監督:シナリオは、いっぱい書いたのを持ってるんです。でも、「おいやろうぜ」って声かけられないとなかなか(笑)
 原作とか持って回って結構やってます。
”そういうことはやらないだろう、あいつ”なんて思われてるんですが、結構やってるんです。

 オリジナルっていうのは、最近の日本ではなかなか成立しないものなんです。何千万部も売れた本とか、そういうのが原作になっている。
 やっぱり、オリジナルなものっていうと会議が通らない、と聞いてます。ほんとの偶然で通るみたいな感じで。

 そんな風に、時間が掛かるんですけど、映画作りをやっていきたいと思っているんです。
 あとは死ぬだけなんで。ほかに行く道はないです。


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