アメリカのTVドラマ『フラッシュ』に出演
日本の俳優とスタントマン その1

アメリカのTVアクションドラマ「フラッシュ」。バンクーバーで撮影されています。この作品に出演をした日本人の俳優・大河 星矢さん、スタントマン・辻 将太さんにインタビューをする機会に恵まれました。

絶対に夢は叶う!

2017 年、バンクーバーで2つの才能が出会った。俳優・大河 星矢、スタントマン・辻 将太。一度は挫折しかけた夢を抱えて、自分を信じて海を渡ってきた2人。1年で夢の階段を着実に上ってきた。「諦めなければ夢は必ず叶う」そう語る彼らの目には確かな強い光が輝いていた。
※今回の記事は、お二人がお話になったインタビュー内容を文字に起こしたものです。

Prologue

大河 星矢 編

この道に入ったきっかけ・時期は?
 18 歳の時、体調が悪く学校に行けない時期があり、何か変えたいこともあり高校3年の時にアメリカのアイオワ州に交換留学に行きました。その最後の日に、「さよならパーティー」があり、そこへ友達が持ってきてくれたのが『Tokyo Drift』という東京が舞台のハリウッド映画でした。それを見てみんなが日本に興味を持ってくれたと思ってすごく嬉しかったけれど、ひとつすごく気になったことがあって、その映画に出ていた日本人役の役者さんが日本人じゃないんですよ。日本語もすごくおかしいのだけど、(日本人以外の人は)同じような顔をしたアジア人であれば、「別にいいじゃない」と気にしないわけですよ。そこで自分の中に「傍観者になるか、自分がやるか」という選択肢が生まれました。そこで僕は「ここに行って俺が少しでも変えてやる!」と思ったんです。それが「世界で『本物の日本人』として活躍したい」という、この道を選んだきっかけになりました。
 日本に帰ってからは高校に1年遅れて学校に戻り、大学でも通訳の勉強をしていましたが、自分としては「やりたいことはこれではない」という気持ちがあって。20 歳の時に「せっかくアメリカまで行っていろいろな経験をしてきたのに、このままのまれるのはいやだ、何か大きなことをしよう」という思いからヒッチハイクの旅に出ました。そこで出会った人達と「夢」の話をするうちに自分も責任持って「夢」を追わなきゃいけないな、と思って。大学を辞めることを親に相談しましたが、最初はまだしっかりとした夢がなくて反対され、大学に戻りました。それでも「何かが違う」と感じ、もう一度、日本一周ヒッチハイクの旅に出て、その時に「俺は絶対役者になる。役者になるまで帰ってこない!」と思いました。
 その後1年間、日本で不動産業に就きながらモデル事務所や芸能事務所でアシスタントとして働き、この業界の内側を見ました。ちょうど今から1年前にインド旅行をして「人生は1回だから夢を追って夢を叶えなきゃだめだ」と思って。それでワーキングホリデービザでバンクーバーに来ました。バンクーバーに来た時は、ここで映画の撮影があるとは知らなくて、1年間、ギャンブルのような気持ちで自分の夢に賭けるつもりだったんですけど、やっとつかんだ道が役者で、これを一生続けていくんだろうな、という気はします。「日本人として海外で活躍していろんな人に夢を与えられるようになりたい」が僕のモチベーションです。

辻 将太 編

この道に入ったきっかけ・時期は?
 僕がスタントを始めたのは高校2年、16歳の時です。始めたきっかけは、その頃何もすることがなくて、いわゆる学校でヤンキーというか不良集団とつるんでいて(笑)本当に何もしていなくて。たまたまテレビのロードショーでシルベスター・スタローンの『ランボー』を見たんです。その時に、僕、なぜか映画も好きではなかったし、シルベスター・スタローンも全く知らなかったのに、その映画を見た瞬間に「バコーン!!」と何か来た気がして。  で、もう「俺はこの人と一緒に仕事する」と、その瞬間に決めて。それから毎日、「どうやったらこの人と一緒に(映画に)出れるんだろう」と考えて。出るとしたら役者かスタントマン。シルベスタ―・スタローンと役者で一緒に出るって言ったらもう、ハリウッドスターレベルにならなきゃ出られないって。

 でもスタントマンだったらスタローンにバーン!と撃たれるだけだったら、その道は早いな、と思って。それですぐに日本のスタントの『仮面ライダー』なんかをやっているエージェントに行ってそこに入って、東映の『仮面ライダー』の現場などに2年間関わらせてもらって。高校を卒業した時に、そのまま日本でスタントマンになるか?ってみんなにすごく言われてて。若い中でも動けるほうで、仕事も取れるほうだったんだけど、でも俺は「違う」と。夢はスタローンだ、アメリカのハリウッドスターとだ、って。
 で、高校卒業と同時にアメリカに。最初は学生で行ったんですけど、運良くすぐに(O-1ビザ)エンターテイメントビザが取れて、何年かアメリカに居れるってなって。そこまでは調子良かったんですけど。そこからもうアメリカで元々全く英語が喋れなかったんで、英語も喋れない、スタントの実力も全然及ばない、日本で2年間練習しただけだったんで。LAに居た間2年間、全くハリウッド作品に関わられなくて、お金も親から借金をして。それでもアメリカで待ち続けて。でもダメで、ビザが切れちゃって。それで一度日本に帰って…それが1年半くらい前で。で、どうしようか迷ってた時にたまたま先輩が電話をくれて「なんでショウタ、カナダに行かないの?カナダは今、世界一ハリウッド作品を撮ってるんだからLAへのこだわりなんか捨ててカナダへ言ってこい。1年間」って言われたんです。

-日本に帰った時に挫折とかもうやめようと思ったことはありましたか?
 挫折しましたね…。ぶっちゃけスタント辞めてて、新しい普通の(生活)、留学の企業とかに勤めていたんです。普通にサラリーマンやろうと思って。その企業に入った初日の昼休みにその先輩からの電話がきたんですよ。
「なんでショウタ、カナダに行かないの?カナダは今、世界一ハリウッド作品を撮ってるんだからLAへのこだわりなんか捨ててカナダへ言ってこい。1年間」って言われたんです。
やっと就職してちゃんと決まって初日の昼休みに電話を受けて…。どうしよう…カナダへ行ったら仕事があるのか?就職して今日が初日で…ああ~!」って…。そのあと、オフィスに戻って出社初日で「辞めます」って言いました。決断しました。今はそれは正しかったと思ってます。

 そのあと、すぐに1回、観光ビザでバンクーバーへ3ヶ月来たんですよ。その間に全部コネクションを作ろうと思って。ワーホリは1年しかないから、それを今使うのはもったいないと思って、まず観光できて、3ヶ月間、スタントマンなんかが集まるところとかに(行って)全部そこに時間とかも費やして、コネクションをいっぱい作っといて、3ヶ月終わって1回日本へ帰って、ワーホリを申請して。去年の4月の終わりに(バンクーバーへ)来て、その3ヶ月のおかげですぐに仕事が取れました。

その2 に続く


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