昔から演劇が好きだったかというと、そうではなかった。子どもの頃は、どちらかというと外向的な性格ではあったけれど、自分が人前で何かを演じるという趣味はあまりなかった。私がお芝居ごっこなるものをして従姉妹と遊んだのは、従姉妹の父親、つまり私の伯父が太秦の東映撮影所の照明技師だった影響がかなりあったと思う。従姉妹たちは映画などに早くから親しみ、自分は将来女優になると言っては、色んなお芝居の相手を私にさせた。私はいつも悪役だったので、その遊び自体が面白かったとは言えなかったが、お芝居の筋道を決めていく作業が好きだった。その後、大学生になると、3つ下の妹が高校の演劇部に所属していたため、私はまた、芝居の稽古の相手となった。当時、本を朗読するのが好きだったので、喜んで練習相手になったが、自分がスポットライトに当たるとは考えたことがなかった。
バンクーバーに来てすぐに、「移住者の会でお芝居をするので参加しないか?」と誘われた。歌ってお芝居のできる日系コミュニティーのエンターテイナーAさんが、「シナリオを書いたが、あなたにぴったりの役なんだ」という。なんだか面白そうだと思って、参加したのが現在の「座だいこん」だった。「おゆきの子守唄」という江戸時代の人情芝居で、私の役どころは、正義感の強いめし屋の女将。悪人にもひるまない肝っ玉母さんだ。着物を着て、髪の毛を結ってみると、堂々とした女将さんができ上がった。そして、スポットを浴びるとなぜだかすっと女将さんの気持ちになれるのである。それ以来、子どもを連れて「座だいこん」でお芝居を楽しませていただいた。台本を書いたり、自分も女優として参加したが、多くの人たちと作る演劇は、雑誌作りにも似ていると思う。常に読者や観客の目を意識した雑誌作り、お芝居作り。題材となる根本のところは、読み手、あるいは観る人に喜ばれるものでなくてはいけないと常に思っている。
50歳になった頃、演劇と仕事の両立が体力的に厳しくなってきて、それ以来お芝居から遠ざかっているが、いつかまた舞台に立って、お客さんを笑いと涙でいっぱいにしてみたいと夢見て、シナリオをせっせと書き溜めている今日この頃だ。