ツナママ日記
 


佐々木 英三子 (ささき えみこ)
生年月日:1982年7月31日
出身地:広島県
趣味:美術鑑賞、読書、温泉巡り
モットー:我が我がの「我」を捨てて、お陰お陰の「下」 で生きよ
好きなバレエダンサー:森下洋子、ダーシー・バッセル


日系センターで子どもたちにバレエを教える英三子さん


夢を追う。これは、子供すぎず、大人すぎない者にだけ許された特権。
バンクーバーにも、そんな夢追い人たちがいる。彼らが追いかけるものとは何か。
どのようにしてその夢とめぐり逢ったのか。
彼らは今、この街の空気の中で何を感じているのだろうか。
彼ら1人1人が自らの中に秘めているストーリーを聞く。

                       

幼い感性を、バレエを通じて育てていきたい
第62回:バレエ講師

佐々木 英三子(25歳)

 “バレエ”と“教師”。一見、何の関連もないように思えるが、「自分の考えていることを誰かに伝えたい」という点で共通している。“バレエを教える先生になる!”という、まだ幼い少女だったころからの夢を、日本でひたむきに追いかけ続けてきた一人の女性。その夢を実現するため、彼女はカナダという異国へ降り立った。

 
   

  昨年6月に、ワーキングホリデーを利用しバンクーバーの地へやって来た英三子は、落ち着いた佇まいと優しい笑顔が印象的。しかし、自分の夢について語るときの彼女の眼差しからは、内に秘めた強い意志が感じられる。広島県に三姉妹の三女として生まれ、母親が幼少時にバレエを習っていた影響で、3歳になると自然とバレエ教室に通うようになったという英三子が、今、胸に抱いている思いを語ってくれた。


“大嫌い!”から“将来の夢”へ
  物心付く前から通い始めたバレエ教室だったが、当時は母親と離れて踊らなければならない寂しさだけが募っていった。「小学校に上がると、放課後はバレエのレッスンと他の習い事の繰り返しで、夏休みには毎日発表会の練習。忙しい毎日に嫌気がさし、あの頃はバレエを止めたくてたまりませんでした」。一度はバレエから遠ざかった英三子だったが、なぜか物足りない日々が続いた。ある日、姉たちの発表会を観に行った際に自分が客席に座っていることに違和感を感じ、「もう一度踊りたい」と母親に告げる。「教室に戻ってみると、私がやるはずだった踊りを他の子がやることになっていたんです。それが悔しくて、それ以来もっと上手に踊れるようになりたいと心から願うようになりました」。そんな英三子の将来の夢が明確になったのは、ちょうどこの時期だ。「小学校、バレエ、塾と、様々な素敵な先生方と出会い、私もそんな先生になりたい…!と思いました。子どもとバレエが好きな自分が目指す道はバレエの先生しかないな、と」。小学校の卒業文集にも、「私の夢は、皆がバレエを好きになってくれるようなバレエ教室を開くことです」と書かれている。そして、「誰のものでもないあなたの人生だから、自分の好きな道を行きなさい」という母親の言葉を胸に、バレエコースがある大学へ進学した。


外国でしか得られないことを学ぶために
  希望に燃えて関東の大学に入学した英三子。だが、レッスン中に腰を痛めてしまう。「椎間板ヘルニアでした。治る怪我ではないのでその時はかなり落ち込みましたが、それからはダンサーとして自分の身体ときちんと向き合うようになりました」と穏やかに語る。毎日レッスンという日々を送りながら、バレエ講師になるという夢に少しでも近付くため、大学の外でも常にバレエや子どもに関係する分野に身を置くよう心掛けた。大学在学中は、ベビーシッターや身体について学べる接骨院でのアルバイト、卒業後は、バレエ学校での事務の仕事や、“チャイルドマインダー”という民間の保育資格にもチャレンジした。そんな英三子がカナダに来ようと思ったきっかけとは? 「日本でバレエを教えている中で、子どもの心を惹き付けるためにはもっと多くのことを知る必要があると感じたんです。と同時に、海外の先生はどんなレッスンをするのだろう?と興味が湧きました」。バンクーバーに来てまもなく日系の食料品店で働き始めた英三子。なかなかバレエを教えるチャンスに恵まれない彼女を支えたのが、職場の人たちだった。「皆が私の教室のビラを作ったりして、宣伝してくれました。ここでの“出会い”には感謝してもしきれません!」。
  同僚たちの努力の甲斐もあって、現在は日系センターで週2回、子どもたちにバレエを教える傍らダンススクールにも通い、アシスタントとして地元の子どもたちにも指導している。「英語で教えるという難しさはありますが、私の頭の中に常にあるのは、どうしたら子どもが楽しくバレエを学べるかということ。それはどこの国の子どもにも共通しています。私が今まで出会った先生方のいいところをミックスさせて、私なりのやり方で子どもたちに芸術の素晴らしさを教えていけたらいいですね」。英三子だけでなく、彼女の教え子たちもいつか世界に羽ばたいていくのだろう。





 




  「将来何らかの芸術の道に進む子がいてくれれば、こんなに嬉しいことはありません」

―バレエ一家で育ったそうですね。
英三子:母にはよくバレエの舞台に連れて行ってもらいました。一番印象に残っているのは、ロシアのキーロフバレエ団による『白鳥の湖』でしょうか。それまでは踊りを観ていてもつまらないとしか感じなかったのに、なぜかこの舞台には最初から最後まで釘付けになりました。私には姉が2人いるんですが、やはり幼い頃は2人共バレエをやっていました。とても仲の良い姉妹で、話す内容はバレエのことが多かったですね。こんな環境で育ったので、私がバレエ一筋でやってきたように思われるかもしれませんが、幼い頃は他にも色々な習い事をしていました。書道、水泳、ピアノにそろばん…。学習塾にも通っていましたね。

―英三子さんの夢に影響を与えた人は?
英三子:バレリーナの森下洋子さんです。日本が誇るバレリーナであるというだけでなく、同じ広島出身ということで一層親しみを感じますね。「1日休めば自分に分かり、2日休めば仲間に分かり、3日休めば観客に分かってしまうから、片時も練習を休むことができない」という森下さんの言葉は、同じバレエダンサーとして常に私の心の中にあります。一度、森下さんの舞台を観た後、本人に直接お会いする機会に恵まれたのですが、舞台の上ではとても大きく見えた森下さんが、実際に目の前にするととても小柄で驚いたのを覚えています。表現力が豊かな真の踊り手だと実感しました。家族の中では、祖父も私に大きな影響を与えた1人です。3年前に亡くなりましたが、陰ながらいつも私の夢を応援してくれていました。祖父自身、何事に対しても人並み以上の努力をしていた人で、「人が1時間練習するなら、2時間練習しなさい」とよく言われました。

 




 

―バレエ漬けだった日本での日々から一転、バンクーバーでの生活はいかがですか?
英三子:こっちに来て何よりも新鮮だったのが、周りにバレエをやっている人が全くいなかったことです(笑)。日本にいたときは、家族はもちろん友達もほとんどがバレエをしていたので、それが当たり前のように感じていたんです。今は、バレエとは全く関係のないところでの仕事もしながら、いろんな人に出会えることを心から楽しんでいます。

―海外の講師のどんなところが印象的でしたか?
英三子:私が影響を受けた講師というのは、教えるときに例えば「これからあなたの足に魔法をかけるわよ」とか、「首をキリンのように長く」、「手を鳥のように広げて」といったように、身近なものでバレエの動作のイメージを膨らませ、子どもたちが楽しく学べるよう工夫をしていました。私もそんなふうに、子どもの感性を育てる教え方の“引出し”を少しでも増やしていきたいと考えています。

―バレエ講師として今後目指すものとは?
英三子:音楽を聴いて、その感情を身体全体で表現するバレエは、感性を育てる上で大変役に立つはずです。けれど、私は決してバレリーナだけを育てたいのではなく、私の教えたことがきっかけで、将来何らかの芸術の道に進む子がいてくれれば、教える立場にある人間としてこんなに嬉しいことはありません。


聞き手・出口 範子


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