ツナママ日記

初めてカナダに渡ってきた明治時代の日本人たちの「我慢して・元気で・頑張ろう」という“3G”の精神が、今もなお日系三世・四世に受け継がれている街バンクーバー。日系人とは、一体どんな人たちなのだろうか。歴史研究、地域研究によって彼らの足跡をたどってきた専門家や、実際にバンクーバーで暮らす日系人たちに、彼らの目から見た日系人についてインタビューした。

  戦前より、多くの日本人がカナダへと渡ってきました。当初は出稼ぎということで、カナダへ渡った人の多くは男性でしたが、その後、彼らに呼び寄せられる形で、日本人女性もまたカナダへとやってきました。当時は今のように、旅行目的、就学目的で海外へ渡航できるような時代ではなく、彼女たちの目的は “結婚”でした。カナダより送られてきた見合い写真だけを見て、「顔しか知らない」人と結婚するため、はるばる海を越えてやってきた女性もいました。海外へと渡るということは「日本に帰れない」そんな覚悟を要するほど大きな意味を持ち、カナダ到着後に「聞いていた話とは違う」というような、事前情報と現実のギャップがあっても、それに耐えなければなりませんでした。女学校を卒業した教養と知識を持った女性でも、缶工場で働き、漁師の食事作りをし、朝から晩まであくせくと働きました。
  戦前は、白人社会に日本人が同化しきれないこともあり、日本人のプライドが確立され“日本人社会”が現地に強く根付いていました。しかし、そんな日本語だけでも生活できるような環境から一転し、第二次世界大戦開戦の後、強制収容所へと移動することとなり、カナダ政府の監視下に置かれることで、初めて彼女らはカナダ社会に触れることとなりました。戦後「英語はやはり必要だ」といって、80歳になってから英語の勉強を始めた女性もいます。戦争や環境の変化等、さまざまな出来事を経験しながらも、たくましく生きてきた彼女たちの、いくつになっても諦めないチャレンジ精神や芯の強さから学ばせて頂くことも多いのです。
  今も多くの日本人女性がカナダへと渡ってきます。時代を問わず、女性は海の外にある国へ憧れや、“夢”を求めて海を渡るのかもしれませんね。
     
  1907年、9月7日。現在のチャイナタウンとパウエル街付近で、バンクーバー最大規模の暴動事件が起こりました。アジア人排斥運動の演説会が開かれ、その演説に高揚した参加者の1人がチャイナタウンへと投石をしました。ガシャン、と割れた窓の音がきっかけで、アジア人排斥に燃える人々の士気が膨れ上がり、とうとう歯止めの利かない状態になってしまったのです。彼らはまずチャイナタウンの家や窓を徹底的に破壊し、そして当時日本人が多く住んでいたパウエル周辺にやってきました。石を投げられ、窓を割られ、3回にも渡る襲撃にあいながらも、日本人は屋上から石を投げ返し、中には、日本刀を振り回して果敢に戦った人もいたといいます。この出来事によって、日本人が団結したとも言えるのですが、逆境にもめげず、お互いに支えあうことを忘れない、そんないい意味での“村の精神”が今もなお、バンクーバーには生きていると感じています。


  戦争によって、日本人はバラバラの場所へ移動を強いられコミュニティとしては解体させられましたが、未だに、日系人のグループや団体は残っています。日本からやってくる若い人たちの中にも、日系団体のボランティアを通して人を手助けしたり、同郷の人や仲間を大切にしようとする気持ちを持った人がいらっしゃるので、日本人が持つその素晴らしい気持ちを、いつまでも忘れないでいてもらいたいですね。
  異文化を柔軟に取り入れながらも、自分が日本人であるという芯はそのままに生きる。難しいことではありますが、カナダへと渡来し、それに挑戦してきた先輩方(日系人)がバンクーバーにはたくさんいらっしゃるので、彼らと触れ合い、人生の先輩から多くのことを学んでいただきたいと思います。

     
  私の祖父は、日本の和歌山県にある三尾村からスティーブストンへやって来ました。私が子供だった頃、スティーブストンの子供たちは、剣道か柔道を学ぶように言われました。私は、剣道を選択したのですが、当時は100名もの道場生で道場用に使っていた体育館は埋め尽くされ、剣道の先生は日系一世や二世の方だったので「何をしてでも試合に勝て」と、ハングリー精神を叩き込まれました。言語も生活も完全にカナディアンとなっても、そんな彼らと触れ合った私たちの中には、その教えが根付いていると感じます。
  剣道を始めてから今年で44年が経ちますが、今はカナダ人や、日系の子供たちに剣道を教える難しさを実感しています。日系人の子供たちの中には、日本語学校で日本語を学ぶ子もいますが、卒業後はカナダ社会へと同化していってしまい、日本語よりも英語が上達していき、生活様式もカナディアン化していきます。

武道の稽古につきものである“しごき”や“厳しい稽古”などに耐えられる子はやはり少なく、武道の理念をうまく理解できない子が多くなっています。それによって、剣道が武道からスポーツへと変わりつつあることも否めません。カナダで日本文化を残していくには、日本文化の芯はそのままに、どのように稽古をすれば、彼ら1人ひとりが剣道に興味を持ってくれるのか、少しずつカナダの文化を取り入れながら、状況を見極めて指導していくことが大切だと思います。
  うまく彼らが日本文化と繋がりを持ってくれるよう、剣道を通して、この先も日本文化とカナダ文化の共生の道を模索していきたいです。彼らが日本について知ることは、私たちの先祖を知ることに繋がり、家族を大切にすることへも繋がっていくからです。

     

2007年9月7日〜14日まで
1907年、カナダの歴史的にも類を見ない規模で起ったアジア人排斥運動。9月7日、白人労働者が日ごとに増えつつあるアジア労働者を憂慮して決起集会を開いた。6千人以上集まった労働者はやがて暴徒と化し、チャイナタウンを襲撃し、Powell St.にあった日本人街にも押し寄せてきた。歴史書には、排斥に対して家に閉じこもって難を逃れようとした中国人とは対照的に、日本人は投石や日本刀を振りかざして暴徒と戦ったという記述がある。このときの模様を歴史ビデオに載せた英語、日本語、中国語の3つの言語で鑑賞する。ビデオを制作したのは、カナダのアカデミー賞にあたるジニー賞の受賞者でもある中国系カナディアン四世のKarin Lee。

モニターの設置場所は、以下の3箇所
@Chinatown (Erin Templeton Handmade Accessories formerly Modernize Tailors, 524 Shanghai Alley)
AJapan Town (The Kalayaan Centre, 451 Powell St.)
BThe Carnegie Centre (Library, 401 Main St.)



 

Copyright(c) 2007 J-wave communications All rights reserved No reproduction or republication without written permission