ツナママ日記
 


田辺 美幸(たなべ みゆき)
生年月日:1982年4月14日 神奈川県横浜市出身
2001年:横須賀湘南学院女子高等学校卒業
2005年:地元のカフェ「ばおばぶ」で第1回目の個展を開催
2006年6月:ワーキングホリデーでカナダ入国
特技・趣味:絵を描くこと  
好きな言葉:スゲェー!
HP:http://kunangkunang.web.fc2.com
【美幸&Brendan二人展は、来る5月4日(金)よりバンクーバーは17 E. 6th Ave. にある彼女が勤める工場(Plasticsmith Inc.)の一部スペースを借り受け開催される。なおBrendan氏のHPは、http://2378-tcdd.deviantart.com
会場への詳しい地図をお知りになりたい方は、http://bcvaporizer.com/address/address.htmlをご覧下さい。


美幸&Brendanの二人個展『OTHER HALF』

夢を追う。これは、子供すぎず、大人すぎない者にだけ許された特権。
バンクーバーにも、そんな夢追い人たちがいる。彼らが追いかけるものとは何か。
どのようにしてその夢とめぐり逢ったのか。
彼らは今、この街の空気の中で何を感じているのだろうか。
彼ら1人1人が自らの中に秘めているストーリーを聞く。

                       
いつも浮遊していたい―アート満ちる世界に
第50回 : Artist


田辺 美幸(25歳)

ニューヨーク、タイ、バリ島、ニューオーリンズ、ロサンゼルス、そしてベトナムと一人旅の空間を漂いつつ心に映る蛍火を手のひらに包み込み、その柔らかな光を日本に持ち帰っては、そっと開いて絵画に灯してきた一人の女性がいた。彼女は今、ここバンクーバーの地で働きながら、間近に迫った作品展に向けての準備を着々と進めている。

 
 

無色の季節
 美幸が絵を描き出したのは、高校2年生の時からである。音楽、書道、簿記などの選択コースの中から「さぼれる時間が多いかも…」、そんな気紛れ心で選んだのが美術。実際始まって間もない頃には絵画の面白さが分からず、ただ時間潰しのため遊び半分で絵の具を塗りたくっては、こっそりとクラスを抜け出すことも…。しかしある日、思い付くまま気の向くままに絵筆を走らせていると、キャンバスに描かれた形と色が心の隙間にピタリとはまった…そう感じた瞬間、『ほう〜!』と満ち足りた気持ちが溢れ出るのを覚え、ここで初めてその魅力を知ることになる。そしていつしか、心模様を絵模様へと変換表現するのが習い性に…。だがこの時期には、アーティストになろうとは夢にも思っていなかった。

旅の愉楽
 高校卒業後、大手スーパーに就職した美幸は、仕事の傍ら一度ならず止めようかと思い悩んだ絵をなおも描き続けていた。そのため日を追う毎に作品が増え、すでに家では収納できるスペースがなく、さりとて捨てるに忍びない。行きつけのバーやカフェでその話をすると、「店で飾ってもいいよ」。これがきっかけで、アートをする仲間が増え交流の輪も広がり、世界が一変。グループ展を開いたり、地域芸術祭に出品したり、また知人の店などから依頼された壁画の制作をも行うようになる。  そんな折、ステンドグラス教室を開く父親に、「アートをやっていくなら一度はニューヨークを見ておく方がいい」と勧められ、初めての海外一人旅に出たのは、美幸21歳の時だった。美術館巡りの合間に大きなチャペルで足を止め、ぼんやりと憩うひととき―得も言われぬ至福の時に身を委(ゆだ)ね、日本では味わうことができなかった解放感に酔いしれる。それ以来、お金を貯めては心の旅路へと…。


個展を通して

 旅と絵に対して日々高まる熱情を、もはや抑え切ることができないと悟った美幸は、それをしおに退職。その数日後、日本を離れ1ヵ月もの間バリ島の芸術の中心地ウブドの自然に遊ぶ―見上げる夜空に/星煌き/銀色の月浮かぶ/カエルの合唱聴こえ/白サギの群れまどろむ木立の中/ほんのりと赤い光瞬き―そして帰国後、その情景を追憶する初の個展を地元のカフェで開いた。タイトルは『Kunang Kunang』(バリ語で“蛍”)。「私の作品がKunang Kunangみたく、初めて見る人に何かを感じてもらえたら嬉しいです…田辺、光ります」。【田辺美幸HPより抜粋】初めての個展は、美幸に精神的な重圧を与えもしたが、彼女はHPで次のように締めくくっている。「最終日近く“愛”を感じました。くさい?!言葉かもしれませんが、こんなに沢山の人が来てくれるなんて、思ってもいなかったから…。みんなの脳みその隅っこに心の端っこに、私は生きているんだぁぁあぁぁ…って実感できました」。

カナダでの配色

 その後もバイトなどで資金を作っては一人旅を繰り返した美幸は、2006年6月ワーホリでカナダへ入国。ESLへ通う一方、路上で自作の絵を売ったりもしていた。そして今年に入ってからは、昼は工場、夜はレストランで働き、休みの日には注文を受けた絵や、カナディアンの彼氏と開く二人展のための作品制作にと、只今おおわらわ…。




  「アートとは…私自身を創造するもの」

―就職されてから何度か絵を止めようと思われたのは、どうしてですか?
美幸:社会に出た時、一人でぼんやりしていたり、映画や旅にフラリと出掛けたりすると、周りから変だとよく言われ、職場でポツンと離れて絵を描いていると、『あの子ちょっと…』何かにつけ不思議そう〜な目で見られ…。私もみんなと一緒にやっていきたい! でも、色々な物事に対しての感じ方接し方が受け入れてもらえず、自分だけ置いてきぼりにされているような孤独感と不安にさいなまれ…。私にとってのアートが、その辛さや苦しみから逃げるためのものなら、いっそ止めよう…「でも止めたら、他に何が…」ってずるずると。カフェやバーで、絵を預かってもらってから、他人の目を気にせず、自分の世界を大切にする人たちとの出会いがあり、周りを気にし過ぎていた自分の小ささに気付かされて…。

―何故旅を繰り返されているのでしょうか?
美幸:同じ所に留まっていると、次第に見える範囲が狭くなって…。自分の内面もそう。旅すると、見えなかったものが見えてきて絵の要素やモチーフに。それにまだ見ぬ、未来に生まれるだろう我が子のために旅をしているような気がするんです。旅を通して自分の見聞をもっともっと広げて、“世界中にはいろんな所があって、どんな状況でも皆頑張って生きてるんだぞ!”って子供に伝えてやりたい、そのためにも…。

―何故カナダをワーホリの地として選ばれたのですか?
美幸:長期に亘り海外暮らしができ、最初の訪問地NYがあるアメリカに近く、ヴァンク〜ヴァ〜と言う響が好きで…。

 

 

―絵のモチーフは何でしょうか?
美幸:自分のイメージや想像をデフォルメして表したり、心象風景を爆発させたり。例えば、何故だか分かんないけど、ふとキリンが描きたくなる…そんな時は、インプットされているキリンのイメージを膨らませて、自分だけの世界にいるキリンにしてしまうんです。描きたい対象がどんどん変化するので、今はテーマを決めてしまわず、思い浮かぶものすべてを描いています。その内一筋の光が射してくるかもしんないし…。

―それでは美幸さんにとってアートとは?
美幸:アートって同じ感性の持ち主を何故か自然に引き寄せ合うんです。そんな人々により自分が形作られてきたので、私自身を創造するもの…かな。

―将来はどんなアートに挑戦してみたいですか?
美幸:童話を書いて挿絵を載せ、私のオリジナル絵本を作りたいんです。身近な挑戦としては、3行詩などの短詩と絵を組み合わせた画集を出版できればと思ってます。

―行動の指針を見失った人に何かを伝えるなら…?
美幸:私のことで言うと、何処にいても何をしても一所懸命生きて、お金や物では代えられない私の生命の鼓動が伝われば、生み育ててくれた親もきっと喜んでくれる…そう思うんです。私が何事に対しても頑張るのが親孝行に…と。
【華奢(きゃしゃ)な体付きにあどけない笑顔と気取りのない口調。だが、強烈なエネルギーがひしひしと伝わってくる。ほころび裂けたジーンズを爽やかにはきこなしている(!?)彼女に、今一番欲しい物は何かと問えば、「普通の女の子が着る服!」。しかし、現在計画中の事柄が、またそれをお預けにするのだろう。そう、新たな旅立ちが…】

聞き手・三木 唱平


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