峰岸伸輔 1970年、東京生まれ。
22歳で渡米、カリフォルニアで2年間を過ごす。その後、渡加し、Emily Carr Institute of Art and Design にてアートを学ぶ。'98に同校を卒業してから、版画家として、カナダ、日本など各地で展覧会を開くなど精力的に活動する傍ら、母校であるEmily Carrで、講師を勤める。2005年4月12日〜5月8日には、Ann McCallとの二人展を開催予定。


夢を追う。これは、子供すぎず、大人すぎない者にだけ許された特権。
バンクーバーにも、そんな夢追い人たちがいる。彼らが追いかけるものとは何か。
どのようにしてその夢とめぐり逢ったのか。
彼らは今、この街の空気の中で何を感じているのだろうか。
彼ら1人1人が自らの中に秘めているストーリーを聞く。


死ぬまで彫り続けてみせる。
第22回: Printmaking Artist 峰岸 伸輔 (34歳)

「話しかけるな」。男の背中がそう言っている。ほとんど熱を帯びているかのような集中力。筋肉の盛り上がった肩から繋がる腕、そしてその先にあるものは、一片の木板と彫刻刀。男の熱が注ぎ込まれるもの。それは版画―。

 
峰岸伸輔という人
たった一人のオーディエンスである、自分自身を満足させるために創られるアート。それをファインアートという。売ることそのものよりも、“自分”を満足させるために創られるもの。中国で生まれた版画は、そのファインアートに属する“芸術”のひとつだ。
 作品を彫り込んでいる時の彼は、恐ろしいほどの集中力で、近寄りがたい。しかし、ふと上げた顔は、なんとも柔らかい表情をしている。「兄貴」そう呼んで頼りたくなってしまうほど男らしく、豪快に笑う。生粋の東京っ子である彼の口から飛び出す軽快な日本語。自分にやましいことがある時には、この人の目を見ることができないんじゃないかと思うほど、力強く、澄んだ目。だけど、決して肩肘張った人間ではない。人間くさくて柔らかい。峰岸伸輔には、人を惹きつける力がある。そして、そんな彼を惹きつけたのが、版画だった。

ウルトラマン
 子どもの頃の伸輔は、日焼けした肌に、白い歯が眩しい野球少年。「大きくなったらウルトラマンになる!」そんな普通の子どもだった。地元の絵画教室にも通い、当時から絵を描くことは好きだったというが、工業系の技師だった父親の影響か、伸輔は理数系科目に強かった。
そんな彼は、某理系大学への受験勉強に励んでいたある日、ふと気付いた。「つまんなくね?」 自分がやっていることの無意味さを破壊したい衝動にかられた彼は方向転換し、受験をやめた。そして22歳の時、単身渡米。カリフォルニアのコミュニティカレッジで2年間学んだ伸輔は、編入のため、4年制の大学を探した。が、「アメリカの大学ってさ、べらぼうに高いんだよ。学費が。それでいろんなところに資料請求とかしてさ、見つけたのが、Emily Carrだったんだ」。そして彼はカナダに飛んだ。
 大胆で迷いのない“引越し”を終えた彼は、現在の活動拠点であるグランビルアイランドにある公立の美術大学、Emily Carr Institute of Art and Design で3年間を過ごす。版画との出会いはここで起こった。選択授業の一つにあったのが版画のクラスだったのだ。「おもしれー!」。伸輔の版画への情熱の始まりである。

 
お父さん、お母さん
 尊敬する人は?との質問に、「父親とか母親とかって答えるなんて、なんか普通すぎて面白くないじゃん。恥ずかしいし」。しかしそう笑う伸輔には、確実に彼らの血が流れており、自分の意識とは別のところで少なからず影響を受けている。工業系の技師であった父の血は、現在、版画プレス機を愛でる伸輔に現れているし、版画コレクターであり、詩人である母の血は、言うまでもなく彼の中から溢れ出ている。そんな母親とは、共同で本を出版した。母親が詩を書き、伸輔が挿絵として版画を載せる。完成までには、もめたりしたこともあったというが、「親と何かやれるっていうのはいいぞ。あれは嬉しいな」と、満面の笑みで彼は語った。
 現在、版画家として自らも精力的に活動する傍ら、母校のEmily Carr Institute of Art and Designで講師として教鞭を執る。峰岸伸輔、34歳。まだまだ“若者”である。彼はこれからも版画を愛し、創り続けていく。体が動かなくなるまで…。




「歴史に残れる人になれたらいいなと思って
日々活動してます」


―理系からアートってものすごい方向転換だと思うのですが?
伸輔:だね。元々、絵を描くのが好きっていうのはあったけど、カリフォルニアで出会った美術史の先生が、ものすごくパッショネイトな人でさ。ファインアートに魅せられたんだ。でも、版画の創作課程って、理系に通じる部分もあると俺は思ってるんだ。

―版画プレス機のメンテナンスも手がけているとのことなんですが、それは何故?
伸輔:やっぱり、自分が使うものだし、可愛がろう、大切にしようと思ったから。アーティストの中には、自分が使うプレス機のことをあんまり知らない人もいるけど、俺は、それじゃあイヤだと思ったんだ。

―とても豪快で大胆なイメージがあるのですが、悩んだりすることはあるんですか?
伸輔:
人間として、アーティストとして、迷うことはたくさんある。もちろん壁にぶつかることもあるよ。一番辛いのは描けない時、創れない時だね。どうしても出てこない時ってあるんだけど、それが一番辛い壁だな。

―その壁はどうやって乗り越えるんですか?
伸輔:
意識して何かをやることってないな。ま、友達と飲みに言ったり、体を動かしたりすることだね。スポーツはいいぞ。人間、体動かさなきゃダメだよ。この仕事してると、すんごい肩が凝るんだけど、スポーツやるとほぐれるしね。
―自分自身を一言で表現するとどんな人ですか?
伸輔:
これねぇ…。俺、知らなかったんだけどねぇ、「ワガママ」らしい(笑)。人から言われてさぁ。実家に帰ったときに「俺ってワガママらしいんだよ」って言ったら、みんなに「今更何言ってんの?」って突っ込まれたよ(笑)。

―常に心がけていることってありますか?
伸輔:
アーティストとしては、絵のこと、作品のことを考えること。常にね。ふと目に留まったものがアートになる。人間としては…「一日一善」(爆笑)。
 
いやいや。人に優しくすることだね。学生たちにも、ポジティブな意見を伝えて、叱る教育より、誉める教育をしたいと思ってるよ。叱られて育つと人間ダメになっちゃうからね。

―日本的な雰囲気の作品が多いように思うのですが、何か意識されてのことでしょうか?
伸輔:
描きたいものがあるから描くだけで、特に“日本”を意識して創ったことはないね。ただやっぱり俺は日本人だから、生まれ育った中で見てきた色や形が、無意識に出ちゃうんだと思うよ。

―ご自身の創作活動をしつつ、教鞭を執るのって大変じゃないですか?
伸輔:
大変だねぇ。俺、めちゃくちゃ忙しいよ。ホントに(笑)。でもね、教えるのは大好きなんだ。アートのクラスはキャッチボールなんだよ。自分の好きなことを伝えたいし、俺も学生達からもらうものがあるしね。それに、生活もしてかなきゃいけないからさ(笑)。

―伸輔さんにとって宝物はなんですか?
伸輔:
作品だな(即答)。俺にとっては我が子みたいなもんだ。可愛い〜ってね(笑)。

―夢はなんですか? 10年後の自分はどうなっていると思いますか? どうなっていたいですか?
伸輔:
俺ねぇ、アートを始めたころは教科書に載ることが夢だったんだ。今はねぇ、美術史にとって大切な人。歴史に残れる人になれたらいいなと思って日々活動してます。10年後には、ある程度の位置にいたいっていうか、アーティストとして尊敬される人になっていたいな。

―最後に好きな言葉を教えて下さい。
伸輔:
う〜ん…なんだろう。あ、「常時真剣!」。何をするにもね。しかしこれ、知り合いが読んだら笑うんだろうなぁ(笑)。

(聞き手・文:國枝綾)