美和 Csuka 1972年東京生まれ。
91年、オンタリオ州のESLスクールへ語学留学、オンタリオ州立フレミングカレッジでは、2年間の過程を14ヵ月で修了。SFU大学に入学後は、興味のある講義を「片っ端から受講した」とか。趣味は、バレーボール、詩を書くこと、読書、音楽を聴くこと。現在は、郊外で夫と2人暮らし。学校のウェブサイトhttp://www.wie.jpは、学校紹介だけでなく、信念も盛り込んだ読み応えたっぷりのサイト。本人の素直な気持ちが綴られた『カナダ心の旅日記』は、読み手を励まし、また柔らかな気持ちにさせる。


夢を追う。これは、子供すぎず、大人すぎない者にだけ許された特権。
バンクーバーにも、そんな夢追い人たちがいる。彼らが追いかけるものとは何か。
どのようにしてその夢とめぐり逢ったのか。
彼らは今、この街の空気の中で何を感じているのだろうか。
彼ら1人1人が自らの中に秘めているストーリーを聞く。


ひとと人をつなげるのが私の役目。自分なりに社会に貢献していきたい
第21回: 『ウエストコースト国際教育相談センター』
代表取締役 美和 Csuka(32歳)


今年、「これまで得てきた知識を人々と分け合いたい」と、留学生のための機関を設立した美和。会社の代表者でもあり、また大学で依存症の研究を続けながら、将来は「教育改革論」を書き上げたい、と目を輝かせる。自らの家庭環境が大きな影響をもたらし、歩んできた道。彼女を知る鍵は生い立ちにあるが、淡々と語る口調とは少しギャップのある物語でもある。

 
逆境をバネに始まった旅
 19歳。それまで演じていた“自分”にサヨナラを告げてカナダへ渡った。目的は、家庭内で起こった「なぜ?」のパズルを解明すること、そして何より、「自分がするべきことを模索していたんだと思います」。
 幼い頃から明るくて、時におっちょこちょい。バレーボールが好きな少女だった。周囲は、美和が家庭で悩みを抱えていたとは想像しなかっただろう。日常茶飯事の口論、巻き添えになった親戚――原因は、家族の依存症だった。警察官を目指したのは、「弱い人たちを守りたい」と、身をもって痛感していたからだが、同時に、「誰かに守られたかった気持ちの裏返しでしょうね」。
 高校卒業後、オンタリオ州の州立大学でESLコースに通学した後、州立のカレッジでLaw and Security Diplomaプログラムを受講、約1年半で課程を終了。講師の勧めでBC州のSFU大学に入学し、警察官になるべくありとあらゆる講義に出席し、日夜、学業に勤しんだ。こうして、社会学や犯罪学を研究していくうちに、家庭内で起こっていた問題の概要がほんの少しずつ見えてきた。依存症は、現代が抱える問題を顕著にした、ストレスの一つの形であること。また、依存症など悩みを持っている人の性質、性格を変えることは難しいが、環境を整えることで、精神を健やかな状態に導くことができるのではないか、ということだ。家族が関わってきた依存症について学びたいと、警察官から方向転換したのは、自然の流れだった。
 学生時代は勉学に、また世界各国の生徒との討論に明け暮れる充実した毎日。ただ、「経済的に恵まれていて留学したわけではないので、生活費は切り詰めてましたね」。勉強に集中していたこの当時、再び、家庭で依存症の問題が起こり、無念の帰国。けれど、カナダは生涯教育において開かれた国。10年かかっても戻ってこよう。自分に約束をして日本へ帰った。

結果より、過程が大事だと思う
 日本で4年間資金を貯め、28歳の時、再びカナダへ。「復学出来ることが嬉しかった」。留学情報機関に勤務して経験を積み、今年、『ウエストコースト国際教育相談センター』を発足。これまで多くの友人たちが支えてくれてきた。また、学業を継続できたのは両親のお陰でもある。そう、次は私の出番。自分なりに社会に貢献していきたいと思った。社会のために、という気負いはない。それよりも、「自分の一部を(社会に)貢献したい、という気持ちが強い。それは、これまで得てきた知識を分け合うというか。私はとにかく人が好き。だからひとと人をつなげるのが役目」。彼女は、人を木に例えてみる。木は幹が太い方が丈夫だ。また1本で立っているより森林の方が互いを守り合えるだろう。だから細い幹には、太くしてあげるための水と栄養をたくさん与えたい。たっぷりと、惜しみなく。
 現在も依存症の研究をしながら、日本で起こっている引きこもりや不登校の問題に携わる。今後も研究を積んで、10年かけて「教育革命論」を執筆するのが目標だ。「自分らしく生きていける社会とは、また競争だけでなく、協力しあえる社会とはどういうものなんだろう。教育次第で人は変われるのではないか。これらのテーマをさらに研究して、『教育革命論』として書き上げたい」。
 いつも目標や夢を持っていたい。でも、夢だけ見るのではない。具体的に、地道に努力を重ねる。「最終的な結果より、そこまでの経過が大事だと思う。途中、悩んだり失敗することだってあります。そんな時、反省はするけど後悔はしない。過程で学ぶことがたくさんあるんです。だから、毎日を疎かにはしたくない」。
 青年時代には心を埋めていた哀しみ。しかし、学問と人々との出会いによって哀しみは薄らいでいき、この女性に優しさと強さをもたらした。
 自分が、するべきことを探すために出発して13年。まだ旅の途中だ。パズルを完成させては、次のパズルに挑戦する。自分が属すべきものにmissing pieceをはめて、またある時は、欠落部を持ったパズルを探して。




「争うだけでなく、協力し合って
生きていける社会になって欲しい」


―『ウエストコースト国際教育相談センター』を開業した経緯について教えて下さい。
美和:私が留学生として多くの人に支えられてきたように、今度は、留学経験者たちが新しい留学生をサポートするような会社にしたい、と思ったのが起業のきっかけです。また日本の、引きこもりや不登校といった問題を持つ学生さんたちをサポートする団体と関わるのには、私が団体を持っていた方がいい、とも思って。起業には多くの友人たちが協力をしてくれました。草の根的な活動から始まったと言えるでしょうね。


―引きこもりや不登校の生徒の留学もコーデイネートされていますね。今後、力を入れていきたい教育分野は。
美和:学生さん皆、良い資質があるんです。そういう資質を開花できる良質の教育が受けられる態勢を、整えていきたい。現在、日本では引きこもりや不登校の人口は約100万人以上とも言われています。若い世代の可能性を持っている人々を育んでいけない日本社会。引きこもりの学生たちに精神安定剤を飲まさなければならない社会、そのほうがおかしいんじゃないか、と研究者として考えさせられます。こういった悩みを持った人で環境的に恵まれない人がいるなら、もしかして環境で変われるのかもしれない。そのためにも私たちが良い態勢を整えて迎えたいですね。


―学生さんたちとのカウンセリングで、自分が悩みを抱えてしまうこともありますか。
美和:正直に言って、時にはあります。それでも、学生さんたちとの出会いから、学ぶことが沢山あるんです。そういう意味で私は、学生さんたちと違いがない。「Give and take」です。
 
―ご両親親との関係は以前と変わりましたか。
美和:私が大学での学業を中断して4年間日本で暮らしていた頃は、すでに依存症の知識もあったので、両親に、「家には依存症という問題があるんだよ」と言ってみましたが、初めはその言葉を否定されました。両親が依存症を認めるまでに2年かかりましたね。


―現在も大学で勉強されているのは依存症についてだそうですが、専攻科目は何ですか。受講内容についても教えて下さい。
美和:依存症の研究という教科はありませんから、さまざまな分野を受講して研究を重ねています。大学での所属上では、Joint Major in Criminology and Psychologyです。日本では、依存症というとギャンブルやアルコホール、買い物などに形容されますが、これらだけでは「依存症」という問題をひと括りにできません。ですから勉強はとても奥が深く、社会学、犯罪学、女性学、心理学、哲学といった知識が大切だと思います。自分の研究としては専門クラスが少ないのですが、教授が、Independent Studyという形で、論文を書く機会を下さいました。こういう形でチャンスを与えてくれるところが、カナダの教育者の素晴らしさだと思います。


―好きな言葉を教えて下さい。

美和:「愛」と「調和」、「可能性」です。争うだけでなく、協力し合って生きていける社会になって欲しいと願っているので、この3つの言葉は私の想いに重なる大事な言葉ですね。

(聞き手・文:小森美由紀)