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限りある鍵盤、かけめぐる限りなき生命の旋律
第13回: ピアニスト
中務 麗子さん (29歳)
序曲:指が鍵盤に触れる。何を語ろうとしているのか。指が鍵盤を這う。何を探しているのか。指が鍵盤を叩く。何を求めているのか。指が鍵盤で舞い狂う。何を生みだそうとしているのか。やがて指は、鍵盤と戯れ、流れる。もはや語るべきものなど何もない。ただ感性のみが突き抜けていく。
プロフィール
1974年10月3日 大阪生まれ
趣味:編物・能笛
1995年: ワットフォード音楽祭にてモーツァルトピアノ協奏曲第17番を共演しコンチェルト部門1位を受賞
1999年: ブタペストコンサート管弦楽団とシューマンピアノ協奏曲を共演
2001年11月:東京トッパンホールにてヤマハ音楽活動支援コンサート『道化師たちの調べ』を開催。
2002年2月:カナダにて第8回パシフィックコンクール第2位受賞
コンサート情報
中務麗子ディプロマリサイタル(チェンバロとピアノによるソロリサイタル)
日程:2004年5月4日(火)20:00 / UBC School of Music Recital Hall (6361 Memorial Rd. V5T 1Z2) 無料
曲目:ソーラー:ソナタ、ショパン『アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ』op.22、モーツアルト幻想曲とソナタKV475.457、アルベニス『スペインの歌』op.232
小西千恵子フルートリサイタル(ピアノ:中務麗子)
日程:2004年8月28日(土)19:00 / Lowen Piano House (750 Terminal Ave. Vancouver, BC V6A 2M5) Tel:604-801-5397, Admission by donation
曲目:プロコフィエフ:ソナタop.94、プーランク:ソナタ他 |
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ラヴェルの『鏡』に向い、シューマンの『幻想曲』に耳を傾け、シマノフスキの『仮面劇』に思いを馳せると、リスト『ヴェネツィアとナポリ』そして『巡礼の年』の風景に、ショパンの『夜想曲』が流れ込んでくる。
第1楽章:夜明け前
麗子が、大阪府南部のたまねぎ畑にピアノの音色を染み込ませ始めたのは、3歳の頃だった。そのとき以来、明けても暮れてもピアノの練習が続いた。中学生の時には、ある室内管弦楽団で、メンデルスゾーンの協奏曲やモーツァルトの輪舞曲などを弾いた。その頃はまだ、ピアニストになるつもりなどなかった。
モーツァルトを描く映画『アマデウス』が公開されたのは、16歳の春だった。そのシーンに魅せられた麗子は、お茶誘う高校の友人から逃げるように、部屋で一人、死者のためのミサ曲『レクイエム』に聴き入る日々を送った。そしてその年の夏、オーストリアのザルツブルクで開催される『モーツァルト死後200年祭』に参加する。
第2楽章:白い黎明
開催地ザルツブルクでは、夏期音楽講習会受講のオーディションも開かれていた。果敢に挑戦した初回は、審査陣のお抱え生徒達が優先的に選ばれ、不合格。悔しさゆえにいつになく闘志を燃やした麗子は、2週間後の2回目のオーディションを見事に突破した。音大生を含む日本からの応募者で合格したのは、麗子ただひとりだった。
そのオーディションのステージで、彼女は今までにない不思議な体験をした。演奏曲はシューベルトの小曲にすぎなかったが、弾き始めてしばらくすると、麗子自身の意識が遠くに突き抜けた。と同時に、ピアノに向って没頭している自分を、幽体離脱をしたかのように背後から眺めている自分が現れたのである。その時審査に当たった、今は亡きハンス・グラーフ教授はこう語った。「この子にはまだテクニックはない。真っ白である。しかし、まさに火山である。いつの日か大きく噴火する要素を秘めている」。
この日を境に、麗子は、ピアニストとしての道を自らの指で選び取ることになる。
第3楽章:色つく燦
高校を終えた麗子は、周囲の勧めで英国王立音楽大学へ留学。卒業後、異なる二つの大学院にて、更なる研鑽をする。大学院在籍中の1998年、パリ留学の日本人バイオリン奏者と日本でコンサートツアーを行う。その帰日中にカナダ・ビクトリア大学のピアノ教授と知り合い、日本でのコンサートやマスタークラスでの通訳を乞われ、1ヵ月間引き受ける。それが縁でカナダに誘われる。1999年、ビクトリア大学音楽学部演奏科の教授アシスタントとして、奨学金とフェローシップ基金により学費免除で修士課程に入学をする。翌年、日本にてソロデビューリサイタルを行い、そのライブCD「色とりどりの大地の夢の中に」をビクターよりリリース。2001年には、バンクーバーにて「デビュー」シリーズのコンサートに出演し、CBCラジオで放送される。同年ビクトリア大学の修士課程を修了すると、新たな奨学金を得、ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)の音楽学部博士課程に籍を置く。リサイタルのCDライブアルバム第2弾「道化師たちの調べ」を出す。思うところあって博士課程を休学し、演奏活動を積極的に行う。復学してからは、UBCのディプロマ課程にコース変更する。
現在、今年修了するディプロマコース後のプロとしての活躍の場を多方面から検討中である。
(なお、中務麗子さんの音楽祭やコンクール優勝などの功績に関しては、誌面の都合上割愛しました。詳細は、http://www.geocities.co.jp/MusicHall/2287/もしくは、http://www.artist-japan.com/sweetpianoをご覧下さい。)
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インタビュー:第4楽章:麗しき燦
―ピアノを始められたきっかけを憶えていらっしゃいますか?
物心ついて気がついたら、ピアノが横にあったという感じです。
―数々受賞されていますが、競い合いはお好きですか?
いぃえぇ、のんびりしてて、コンクールなんかでも、「あの人ごっついがんばったはる。えらいわ〜」と上手い人に感動し、譲ってしまうタイプなので、あまり勝負には向いていないのかもしれませんね。
―王立音大の後は、どことどこの大学院で学ばれたのですか?
英国トリニティー音楽大学大学院の研究科とギルドホール音楽演劇学校の大学院伴奏科に入りました。その頃に、バイオリニストの伴奏者として日本にコンサートツアーに行き、伴奏の大切さとしんどさを思い知らされました。何でってですか? ある日、コンサートホールでの演奏中に彼女のバイオリンの弦が切れてしまったんです。それを、私の伴奏が速すぎるせいだと文句を言われて。「そんなん、知らんがな〜」と思っても、すごいプレッシャーを感じ、その頃からです、歯軋りが始まったんは。辛い経験ではありましたが、他の楽器と一緒に演奏する場合、瞬時で全てを左右してしまうという、そのスリルの中に楽しさを発見して初めて、超越した感覚の悦びを、痛感しました。

―UBCの博士課程を休学された理由は何ですか?そしてその間は何をされていたのですか?
UBCには、ピアノ教師として世界的に大変有名なある教授目当てで入ったのです。でも、博士課程はアカデミックがものすごく重視されてて。歴史とか理論、思いっきり苦手な私にとっては…。確かに演奏家としては貴重な知識に違いないんですが。それよりもっとピアノを弾いていたくって休学を決意し、その教授からは、厳しいプライベートレッスンのみ受けていました。その間、ICASのチャリティコンサートや日本での2台ピアノコンサートなどの演奏活動を行いました。
―復学されてからは、ディプロマ課程にコースに変更されていますが?
戻ったら教授に「君は、先生を替えたほうがいい」と言われ、「ほんなら、そうします」と言うてしまったんです。本当は、どこまでついてくるか根性を試してはったんかもしれませんけど。
―コース変更は生かされていますか?
ええ。演奏がメインで、以前からやりたかった指揮の初級コースも取りました。今は、音楽理論コースを履修しながら、コンピュータープログラムを使ってソナタ形式で作曲も手がけています。
―今後の夢と音楽を通しての思いを聞かせてください。
熱い情熱や悲しみを音楽で表現して伝えるのもいいけど、人間本来の生きるということの素晴らしさとか、温かさとか許容を音楽を通して間接的に伝えられればなぁと思うんです。人間同士の触れ合いや交流が何よりも大切なような気がしますし。
(聞き手・文:三木唱平)
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