ワーホリ天国
フランス発
「お風呂に入れない騒動」編
パリ通信員:直井 祐子
 猛暑続きのパリ。暑さは嫌いではないが、日本人のわたしには過酷な1ヵ月間だった。じわじわと汗のにじむのを感じてきた6月に、それは始まった。
 ことの始まりは、1階への漏水だった。もともと古い建造物の並ぶパリで、古いほうの部類に入るはずのわが家。トイレの水漏れは当たり前で、入居当初から見てみぬふりをしていた。自分の適応能力に感心してきた頃、天井から水が漏れているので、原因を調べたいと1階の住人がやって来た。
 やり方に驚いた。修理の初日は、水道が止められた。予告もなく、だ。それも全世帯に。
「トイレが流せないじゃないか!」
 これには、即苦情が入ったらしく、午後には利用できるようになったが、修理が終わるまでの数日間、トイレ以外の、台所やシャワーなどの排水が禁止された。数日間のはずだった。
 だがそれで終わるわけはなかった。その後数日間は漏れている水道管を調べるのに、壁を取り壊しての作業が続いた。どうやら全世帯の排水が、1階まで伝い、水浸しになっているらしい。ということは、それぞれのキッチンや浴室の壁が全て破壊されたはず。この効率の悪さ。
 翌週は、手際の悪い兄ちゃんが、水道管を直しにやってきた。まず、彼の労働時間の半分以上は、電話で終わった。わたしが昼過ぎに買い物に出ると、彼は携帯で延々とおしゃべりしていた。シャワーに入れないことで、かなりご立腹のわたしは、ルームメイトにそれを密告した。彼女も彼の仕事っぷりには呆れていたらしく、とうとう自分の仕事を休んでまで(それまでもストで度々彼女は休んでいるのだが)彼を見張ることにした。彼女の怒りが頂点に達したのは、彼女のタオルが作業用タオルとして使われてしまったからだ。その後その兄ちゃんは来なくなったが、それまで1週間付き合わされた。
 暑さはいいのだ。でも、風呂に入れないのは我慢ならない。これで、初めて大家に「不快だ」と口にした。それが効いてか、その後はスム−ズに修理は進んでいき、台所は元通り、浴室は新品になった。
 ある意味サバイバルだったけど、こういうトラブルでお互い言うところは言っても角が立つのではなく、お互いを認識できて励まし合えるのは、フランスのいいところかも。
 
イギリス情緒漂う街
ビクトリア発
「たまやー!かぎやー!」
ビクトリア通信員:Masato
 暦が7月を数える頃、ここビクトリアにも花火の季節がやってきました。英語ではいわゆる花火のことをfireworksと呼びます。ビクトリアにおいて広く認知されているfireworksと言えば、カナダ・デーに行われるインナー・ハーバーでの花火大会と7、8月中にブッチャート・ガーデンにて行われている花火大会です。
 ビクトリアに住むカナディアン達は特に前者のfireworksの迫力と華麗さを毎年楽しみにしているようです。カナダ・デーは日本で言うところの建国記念日で、それを祝う行事の一つのこのfireworksは、自然の地形を利用した美しいインナー・ハーバーと呼ばれる内港にて開催されます。
 先程カナダ・デーのことを日本の建国記念日のようなものと記しましたが、正確にはカナディアン達にとっては異なった意味合いを持つ日であるようです。1867年以前カナダはいくつかの国の植民地が集積したところでした。いくつもの州の連合を通してイギリス自治領カナダ連邦が生まれたのです。
 つまり、カナディアンにとって祝うべきは建国というよりむしろconfederation(同盟)なのです。彼らがその後自国の国旗を持つのは1964年のこと。それ以前はブリティッシュコロンビア州ではユニオンジャックが使われていたということです。花火大会はその7月1日の夕暮れ時が過ぎた頃始まります。
 カナディアン達の歓声につつまれ始まったfireworksを見物しましたが、正直あまりたいしたことはありませんでした。よく分からないままfireworksは終わりを告げてしまったという感がありました。
 後日、私はブッチャート・ガーデンと呼ばれるビクトリアの観光名所で行われる花火大会にも足を運びました。こちらのfireworksは流されている音楽にあわせて花火が上がり、そしてまたそれがストーリー調になっていて繊細な技が際立っていました。中でも印象的であったのは、滝から流れ落ちる水滴を花火の火の粉で表現している幻想的な一場面でした。日本とは異なるカナダの風情というものを感じて無性に「たまやー!」と叫びたくなる夜でありました。

花の咲き乱れるブッチャート・ガーデンにて